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2015-11

イタリアの旅を終えて

イタリアの旅を終えて
銀婚式の記念として、1年遅れで行った、イタリアへの旅でしたが、諸々の感想を。

帰国後、やはり張りっぱなしだった緊張を緩めすぎたのか、ミラノで雨に濡れたのがいけなかったのかは、わかりませんが、熊本へ帰りつくと、すぐに風邪をひいてしまいました。
熱もかなりの数値となり、咳、鼻水・・・。
スペイン風邪じゃなく、イタリア風邪?、受験生始め、娘たちは、口にはしませんが、何となく私に近づかない、ような。
10日間くらいは、苦しんだように思います。
それもあってか、いや、毎日2万歩以上、15kmほどを歩いたことが最大の要因だと思いますが、久しく会った人に「あれっ、痩せた?」と言われることもしばしば・・・、ははは、一度だけですかね。
とにかく、二人とも以前より体重はそれほど減っていませんが、体が軽くなった、という感覚は、確かに持ちました。
帰国後数日は、風邪が治ったら、二人で散歩しようね、と、誓ったような気がしますが・・・、未だ。
ビールの消費量や食事の量は、もちろん、出国前の、いやそれ以上に戻り、体重も、身の重さ感も・・・。
意志が弱すぎる、私。
ダイエットが目的なら、やはり長期間、海外へ行くしか、ないようです。

たかだか二週間とはいえ、娘二人での、留守番。
予備校へ通う次女は、遅刻は御法度、弁当も毎日持参。
日頃は、寝坊、家事もほとんど手伝わない、長女。
はたして、次女の面倒をちゃんと見れるか、不安は非常に大きかったのですが、帰国後、その様子を聞いてみると。
朝は先に起き、弁当、朝食を作り、しかも母親が作るより、次女の評判は、良かった、とか。
なーんだ、やれば、できるじゃん。
子供の自立が目的なら、やはり長期間、親は海外へ、行かねばなりません。

物事に拘りがなく、簡単に染まってしまう、我が夫婦。
人間としての、中身が、ないんでしょうね。
ほとんどイタリア語はマスターできませんでしたが、グラッチェ、グラッチェだけは、口癖となり、アムステルダムの空港でもお店の人や審査の人に、グラッチェ、グラッチェ・・・、福岡空港でも・・・。
確か、ドイツへ行った時も、しばらくはダンケ、ダンケと、日本でも言っていたような。
また、サラダにかけるのは、イタリアではドレッシングではなく、バルサミコ酢とオリーブオイル、たまに塩。
すっかり、この味が気に入った我々は、帰国後もサラダには毎回、この組み合わせ。
いまだに続いていますが、子供たちは、ちょっと閉口気味、でしょうか。
中身がないなら、いろんな味を、感情を、知識を、拘りを集めるしか、ありません。
自己のゆるぎない、拘り、指向形成が目的なら、やはり長期間、海外へ行くことは、必至なようです。

フランスはじめ、各地でテロ発生のニュースが聞かれます。
テロと戦争の違いを、相変わらず、私は全く理解できませんが、テレビゲームのようなモニターを見ながら空爆することと、自分の体に爆弾を巻きつけて人ごみに消えていくこと・・・。
それに巻きこまれてしまう人が、リアルかどうか、それがメディアに伝わるかどうか、だけの違いに思えてなりません。
世界の人が、コロッセオの暗い部屋で、出番を待つ、囚人の気持ちに、少しでも思いをはせるならば、少しずつ、この世も変わっていくと、思うのですが。
パリのテロのニュースが流れ、ショッキングな映像も。
また海外旅行へ出かける日本人、特に若者は一時的にせよ、減るんでしょう。
我々も、出国前は、「怖くない?」と聞かれることも、何度かありました。
実際、サン・シーロで大きな爆竹の音を聞いた時は、ほんとに命の危険も感じました。
しかし、古人も多く旅に死せるあり、とは言いますが、国内での色んなニュースを見てみても、ほんとに海外旅行に行った場合の命を落とす確率と、日常ルーティンの穏やかな生活を送っている時でさえ事件や事故に遭い、命を落とす確率に、我々が想像するほど、大きな差はあるのでしょうか?
数少ない私の渡航経験ですが、現地で日本人の、目を輝かせて旅を楽しんでいる、元気な若者と会うことは、どんどん減ってきているように感じます。
経済状況もあるのでしょう。
イタリアへの団体旅行で圧倒的に多いのは、やはり中国人。
ドイツはじめ、ヨーロッパ各国の団体よりも、多かったでしょう。
金額の高い、ヴェネツィアのゴンドラに乗って楽しんでいるのは、ほとんどが中国人でした。
韓国人は、団体旅行よりはグループ旅行が多かったような気がしますが、やはりかなりの方が来てました。
景気、円安、テロや事故への不安、仕事、家庭・・・。
日本人が今、海外旅行を決断するハードルは高いのかも、しれません。
しかし、時を待っていると、自分の体力、気力も、時とともに・・・。
SHAKE SHAKE Japanese(wanima)、です。
ナショナリズムとしてではなく、日本という場所に生まれた、日本人というアイデンティティ形成が目的なら、やはり長期間、一人で、あるいは少人数で、海外へ行かねばなりません。

トレヴィの泉が工事中だったのが、幸いしたのか、帰国後、夫婦での会話も増えたような気がします。
もちろん、旅の途中も、帰国後も、喧嘩は絶えませんが、日常、自営業の我々は、ほぼ一日中、一緒に活動しています。
しかし、やはり二人だけで、海外で強烈な共通の経験をすることは、他に変えられない刺激になり、記憶になり、互いのポジションを再認識、再構築を強制します。
結果、言葉はなくても互いの思いを想像したり、逆に言葉の奥の思いを想像したり。
銀婚式の、いや遅れてきた、26年目の、新婚旅行。
やっぱり、いい、ものでした。
ブリオンヴェガで感じたように、夫婦が元気でいつまでも一緒に、死ぬ時までも一緒、ということは、まず無理でしょう。
気力よりも、体力の衰えは確かに感じた、認めざるを得なかった、今回の旅。
いずれは、団体旅行しか、海外へ行く手段はなくなるかもしれませんが、銀婚式と金婚式の間にも、真珠や珊瑚、ルビー、サファイア婚と、5年毎に結婚記念日を祝う夫婦も、あるとか、ないとか。
夫婦円満、死ぬまで後悔しない生き方をするのが目的なら、やはり長期間、いや度々、二人で海外へ行かねばなりません。
・・・行きたいな。

完 151126

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帰国 151007

帰国
長かったようで、短かったようで、やっぱり短かった、ですね。
2週間のイタリアの旅も、終わります。
後は、飛行機に乗って、飲んで、食べて、寝れば、勝手に帰国できる。
前日のイタリア最後の晩餐後は、やはり多少、気は抜けていたかもしれません。

かなり、酔った中で、最後の荷作り。
そして、一応、念のために、と搭乗券に記載されている、出発時刻を再確認しておこう・・・。

うんっ?
空港は?
ははは、勝手な思い込みは、やはり危険ですね。
ガイドブック等の情報から、当然、ミラノからの出発は規模の大きい国際空港の、マルペンサ空港に違いない。
また最後にピアノの作品が見れる・・・。
と、思っていたのですが、搭乗券に書かれていたのは、何と、リテーナ空港。
リテーナ空港って、何?、どこ?
マルペンサ空港より、もし遠いなら、朝飯も食べず、暗い内からチェックアウトしなければ。
と、一瞬、焦りますが、調べてみると、中心部から、6、7kmと、福岡空港並みに、近接しているようで、ホッとします。
チェックもせずに、朝を迎え、遠く、1時間もかかる、マルペンサ空港へ行ってしまっていたら・・・。
おそらく予約していた、リテーナ空港、10:50発には、間に合わなかったことでしょう。
全く、危ない、ところでした。

イタリア最後の朝食をホテルで食べ、チェックアウト。
近くのバス停まで、徒歩。
停留所付近のTABACCHIを探しますが、なく。
バス内で、運転手さんから購入しようと考えますが、バスが着いてみると、超満員。
押しやられるように奥に進み、ついには、チケット購入できず。
すいません、最後の日に、最初の無賃乗車を、やってしまいました。
ごめんなさい。

20分ほどで、リテーナ空港着。
KLMのカウンターへ向かいます。
前に並ぶ日本人のカップルが、1個のスーツケースの重量オーバーとかで、4個ほどの別のケースに分配させられます。
二人で5個も、スーツケースを持っておられるのも、軽装の我々には不思議では、ありましたが・・・。
その顛末を見守り終わり、おっと、これは手強い、と、びびっていると、案の定、私の時にも駄目だしが、入ります。

実はフィレンツェで、ブルネッレスキによるドゥオーモのクーポラのドローイングのポスターを購入しており、その後の移動時も大事に運んでいたのですが、そのポスターケースをバックパックの横のベルトに挿しているだけでは、受け取れない、預けられない、とのこと。
カウンター近くの場所では、ラップで荷物を、丁度、干し草を白いビニールで巻くような機械で、ぐるぐる巻きにするコーナーがありました。
そこで、バックパックごと、巻けば認める、とのことですが、値段表を見ると結構な金額。
ユーロ圏内にいる間に、現金は使ってしまおう、と考えていた我々は、所持金も少なく、その巻き巻きの金額は、やはり、いたい。
空港内で買おうと思っていた、子供たちへのお土産が買えなくなる・・・。

まあ、カードで買えば済む話ではあるんですが、奥さんはカードを失くした状態。
買い物に、私がずっと付き合うのも、辛い。
と、つまらない悩みを、二人で相談していると、向こうから助け舟。
ポスターケースを機内に持ち込めば、ノープロブレムよ・・・。
なーんだ、早く言ってよ、と内心では思いましたが、そこは堪えて、グラッチェ、グラッチェ。
無事に搭乗手続きが、完了します。

出国審査を終え、出発時間まで買い物。
持ち帰っても困る、小銭もかなりありましたので、先に小銭を渡し、残りをカードにて支払い、というテクニック?を駆使して、財布も身軽に・・・、日本円を残すだけ。
機上の人と、なりました。

やはり帰りの便も、アムステルダムのスキポール空港でトランスファー。
今度は特に審査もなく、空港内の無料WiFiの使い方も簡単にわかり、ゆったりと、余裕を持って、過ごします。
そして、いよいよ最後のフライト、福岡への移動。
時間的には行きより短くなるのですが、日付は+1。
朝、出発して、日本の朝に、無事帰国。
入国審査、手荷物の受け取り、WiFiルーターの返却。
空港外の、バス乗り場へ行くと、懐かしい、日本語、九州弁が、あふれています。

あー、ほんとに無事に帰ってきたんだ。
と、深く実感し、そのまま熊本へ。
家へ着き、ネコ3匹と、久しぶりのご対面。
仏壇へ、無事の帰国報告。

いい、旅、でした。

ミラノ Ⅵ 151006

ミラノ Ⅵ
念願の「最後の晩餐」を、無事に、十分に堪能。
中心部に戻り、まずは、サンタ・マリア・プレッソ・サン・サーティロ教会を目指します。
151006 Milano S-M-Presso-S-Santiro (3)ss 151006 Milano S-M-Presso-S-Santiro (2)ss
ファサードが通りから奥まっており、裏手の方が複雑な外観をしているため、やや探すのに苦労しますが、何とか発見。
入場料徴収もなく、すんなり中へ入れます。
この教会の最大の特徴は、祭壇の後部、後陣。
151006 Milano S-M-Presso-S-Santiro (6)s
エントランスから正面を見ると、ごく普通の、かわいらしいバシリカ形式の教会に見えますが。
祭壇に近づいてみると・・・
151006 Milano S-M-Presso-S-Santiro (10)ss 151006 Milano S-M-Presso-S-Santiro (11)ss
何と、後陣の奥行は、80センチ、のみ。
敷地の制約だったかどうかは、わかりませんが、パ-スペクティブの効果を逆利用した、ブラマンテの見事なトロンプルイユ。
まあ、毎週通うであろう、信者の方々には、すぐばれるのでしょうが、逆にその極端な絞りによって、かわいらしい、親しみに満ちた、後陣に結果的になっている、といったことも、言えるのかもしれません。
日本の神社や寺で、パース効果を強調した事例は知りませんが、大きなファサードだと、前面の柱間は、微妙に端部ほど小さくして、より巨大な建造物に見せる工夫もあります。
やはり、宗教建築、見え方には、どこの国でも、色んなこだわりがあるんでしょうね。

次に向かったのが、ドゥオーモ。
ゴシックの巨大な、巨大すぎる、教会です。
ミラノのような近代都市でも、中央に鎮座し、街のシンボルであり続ける、ドゥオーモ。
やはり、すさまじい、圧倒的な、存在感でした。
151006 Milano Duomo (6)s

151006 Milano Duomo (29)s
しかし、収容人数を多く確保する必要性があったのか、内部は、奥行に対し間口が広いため、中央の身廊にも2列の巨大な柱があり、バシリカの直進性、崇高性は弱まっている印象。
美しい空間であることは、間違いありませんが、フィレンツェのドゥオーモや、ドイツのケルン大聖堂の方が、神聖空間という意味では勝っているような気がします。
151006 Milano Duomo (37)s
外壁に施されたレリーフやステンドグラスも美しく、聖書に慣れ親しんだキリスト教徒の方から見れば、飽きることのない、魅惑の世界なんだと思います。
なんちゃって仏教徒の私には、カジュラーホのミトゥーナ像の方に、エロスや魅力を感じるのは、やはり同じ亜細亜、だから、ですかね。
151006 Milano Duomo (35)ss 151006 Milano Duomo (52)ss

ドゥオーモの後は、すぐ隣の、ヴィットリオ・エマヌエーレ2世のガッレリアを見学します。
ナポリのガッレリアより、後にできたせいか、鉄骨もトラス材を使ったり、間隔を広げたり、と、より軽く見せる工夫が感じられます。また規模も大きく、何より観光客数、そして地元の買い物客数が全く違うのか、下に入る店も活気を帯びていて、古臭さを全く感じません。
夜も、いい雰囲気の人工照明空間となっていました。
151006 Milano Galleria V-EⅡ (6)s

151006 Milano Galleria V-EⅡ (11)s

151006 Milano Galleria V-EⅡ (2)ss 151006 Milano Duomo (33)ss
また、このメイン通りの、一本はずれた、小さな通りには、新しい実験的、商空間が。
ピンクの浮遊する屋根で、楽しげな雰囲気を作ってました。
今後、新たな観光スポットになるかも、しれません。
151006 Milano ピンクの屋根ss 151006 Milano ピンクの屋根 (3)ss

天気も怪しくなり、やや本格的な雨も。
急ぎ、最後の目的地、ヴェラスカの塔を見に行きます。
地上の掲示板には、ミラノ万博開催中は、特別に上部へ上れる、といった意味のことが書いてありましたが、読み違え、ですかね、管理人さんに聞いてみても、ダメだ、の、一点張り。
あきらめて、外観写真を撮るだけで、見学を終わります。
フィレンツェのヴェッキオ宮と、何となく似ている、不思議な形。
福岡の志免町の炭鉱の建物にも、似ています。
今でこそ、よくある形状かもしれませんが、当時のイタリアでは、やはり相当な賛否が、あったんでしょうね。
151006 Milano Torre Velasca (6)s

151006 Milano Torre Velasca-s
予定していた、全ての建物の見学を終え、雨も降って来たため、ホテルの近くで、イタリア最後の晩餐。
奥さんの希望で、はやっているらしいアぺリティーヴォの店へ。
ワンドリンクを注文すれば、安い定額で、チーズやサラダ等、バイキング形式で自由に食べていい、というもの、らしいです。
151006 Milano 夕食ss
が、デブな私・・・。
やはり、この量でお腹が満たされるわけは、なく。
すぐさま、近くの他の店に入り、最後の晩餐、第二段。
151006 Milano 夕食(1)ss 151006 Milano 夕食 (2)ss
ビールは当然ながら、シーフードサラダ、フルーツやスィーツ・・・。
結局、いつもの夕食より、飲み、そして、食べ。
イタリア最後の夜が、更けていくので、ありました。

ミラノ Ⅴ 151006

ミラノ Ⅴ
いよいよ、楽しかったイタリアの旅も最終日。
まずは、月曜休館だったため、この日にずらし、回りたいエリアと宿泊するホテルの関係に、多少の誤差を生じてしまったのですが、待望の、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会へ向かいます。
ヴァチカンの訪問日記でも書きましたが、「ダヴィンチコード」や「天使と悪魔」を観てしまうと、どうしても行ってみたくなる、場所。
はい、ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」がある、教会、です。
システィーナ礼拝堂やウッフィツィ美術館は、それほどの人気じゃないだろう、とイタリアの観光事情をなめてしまい、事前予約を怠った結果、酷い目に遭った私ですが、どうしても見たかった、この壁画だけは、日本で予約。
万全の体制で、望みます。

期待で興奮するあまり、予約時間の2時間近く、前に到着。
教会内部や、周囲のカフェで時間をつぶします。
151006 Milano S-M-delle Grazie (9)s

151006 Milano S-M-delle Grazie (11)s
教会前の広場には、6角形の案内所がありますが、実際に案内を求める観光客はおらず、中に居るバイト風?の案内人も、トイレに行くのか、買い物に行くのか、出たり入ったり。
その開口部のシステマティックな仕舞の様子を見るだけで、博覧会会場の施設より、私的には興味をひかれました。
きっと、変な観光客だと、思われたでしょうね。
151006 Milano S-M-delle Grazie (20)ss 151006 Milano S-M-delle Grazie (23)ss

151006 Milano S-M-delle Grazie (26)ss 151006 Milano S-M-delle Grazie (28)ss
そうこうする内、予約した時間も近づき、教会の左手、修道院側の入り口へ行ってみると・・・。
ははは、客は、我々、のみ。
待合室に掲示してある、最後の晩餐の7不思議?、かどうかは、わかりませんが、ミステリアスな絵画の不思議さを増長するような解説ポスターをじっくり、見学します。
二人とも、もちろん、気分はトムハンクス、です。
151006 Milano S-M-delle Grazie (3)ss 151006 Milano S-M-delle Grazie (4)ss
見学開始時間になると、20人近い団体観光客が来ましたが、受付の様子を見ていると、全く事前の予約は要らない感じ。
いきなり訪ねても、30分後、1時間後の、予約は十分、とれる、感じでした。
手数料を含めて、事前に購入した、我々。
なんだかなー、です。

ウッフィツィ美術館が、やはり異常、普通ではなかったんでしょうね。
この修道院の内部は、全室撮影禁止。
もちろん、「最後の晩餐」も撮影、禁止。
その分、ベンチに座り、想像していたより、圧倒的に大きな壁画を、十分な時間、じっくり堪能します。
ユダが誰で、キリストとヨハネの間の三角形を平行移動すると・・・。
相変わらず、トムハンクスごっこは、続きます。

トリノの聖骸布とともに、放射線を伴う材料で仕上げたのではないか、というミステリーもありますが、そう思うのも無理ないような、何とも言えない、不思議な色と、その奥行・・・。
幅が9mを超える、壁画の迫力とは別に、見る人を引き込む、怪しげな力を、やはり感じます。
なんちゃって仏教徒の我々ですら、そう感じるのですから、キリスト教の馴れ初めを幼い頃から教え込まれているだろう、ヨーロッパ人の感動は、どんなもんなんでしょう。
言葉が流長なら、是非、聞いてみたいもの、でした。



Hotel Lloyd
残り2泊のホテルのご紹介。
151005 Hotel Lloyd-ss 151005 Hotel Lloyd3-ss

151005 Hotel Lloyd2-ss 151005 Hotel Lloyd4-ss
あまり、特徴のない老舗ホテルでしたが、何より立地条件が、すばらしい。
ミラノ中心部の内側の環状線内で、ヴェラスカタワーから200mほど。
最寄りの地下鉄の駅は、Crocettaでしたが、ドゥオーモ始め、どこへでも徒歩圏内。
最後に空港へ向かうバスの停留所も近く、便利な所でした。
朝食時の、宿泊客の様子も、観光客よりはビジネスでミラノを訪れた人が多い、感じ。
鍵が重いタイプで、ドアを開けるのに、ちょっと癖があったのには、少し戸惑いましたが。

一か月ぶり 151025

一か月ぶり
151023.jpg
ボンジョールノ、ボナセーラ、グラッチェ
二週間のイタリア旅行で、自然に使えるようになったのか、これくらい、でしょうか。
夫婦二人での、銀婚旅行。
トラブルも多少ありましたが、何とか無事に、帰ってこれました。
日本の喧騒を離れ、日常を忘れ・・・。
結局、WIFIを持って行ったため、FB、LINE、そしてこのSNSと、全く日本と変わらない、情報環境でしたが。
まあ、たまには、いい、想い出となる、楽しい、旅でした。

とはいえ、やはり釣りから遠ざかることには、ストレスを感じます。
ヴェネツィアの護岸からは、投げ釣りを楽しむイタリア人を、出発の時間は近づいているのに、10分以上、眺めたり。
列車でジェノヴェ近くを通る時は、沖の釣り船を、うらやましそうに眺めたり。

帰国後、すぐに海へ行きたいと思っていましたが、やはり体力が落ちていたのか、気が緩んだのか、すぐに風邪をひき、インフルなみに高熱も出て。

ということで、晴天が続く、この季節。
前回の報告のように、ヒッチメンバーが下がり、自分のボートを今の車で引っ張るのは、かなりの不安。
外海さんのボートに、乗せてもらっての、一か月ぶりの、釣り、でした。

風邪はまだ咳が取れず、体調も不安。
ウネリがある海では、酔ってしまい、外海さんに迷惑をかけてしまう、かとも思いましたが、幸い、土曜午前中は、微風、凪。

あんまり、釣果は満足できるものではありませんでしたが、やはり、海は、いい。
無心で魚との会話や、お決まりの、ふっ・・・、を楽しみます。

合わない、はずれる、と、いつもなら相当くやしがるのですが、そんな感情を超えての、満足感。
釣りができるだけで・・・。
小さくても、狙いの魚じゃなくても、釣れるだけで・・・。

初心に返れる、釣りのインターバル。
なかなか、いい、ものかもしれません。
これからは、しばらく、間をおいての、釣行にしたいと思います。

が、新しいヘッド車の納車が、思っていたより早くなる様子。

早速、次の釣行を、夢見る、私、でした。
ははは。

久しぶりの釣り日記、です。
帰国後、もちろん、すぐ、海へ行きたかったのですが。
体調を壊し、トレーラー環境を再構築するのにも時間がかかり・・・。

この後、すぐ以前の釣行ペースに戻りますが、釣果も、以前のペースから、発展はなく。
まあ、気楽に、あせりましょう、かね。

ミラノ Ⅳ 151005

ミラノ Ⅳ
この日は、一日、万博・・・、のつもりだったのですが、ホテルを変わるため、朝から一度、ミラノ中心部へ移動。
荷物を預けて、また郊外の万博会場へ。
やはり時間を取られて、入場は既に正午近く。
ははは、今回の旅の主目的は、博覧会視察だったのですが、何をやっているんでしょうね。

ゲート前は、既に長蛇の列。
10月いっぱいの会期ではありましたが、普通の月曜日。
イタリア人、ヨーロッパ人、アジア人・・・、博覧会なんか来ないで、もっと働きなさい、と言いたいですが、では、自分たちは?
はい、すいません、です。
151005 Milano EXPO (6)ss 151005 Milano EXPO (1)ss
そして、広い会場へ。
中央の、オーニングがかかる、大きな通りを背骨として、各パビリオン等がクラスター状に配置されるレイアウト。
目的の場所がわかりやすい利点はありますが、回遊して思わぬ発見をする楽しみは、減るかもしれません。
長方形の、決して広くはない、敷地ゆえ、まあ、それしかなかったのですかね。
空地がほとんどなく、これまでの博覧会に比べ、建ペイ率、敷地有効活用率は、非常に高かったに違いありません。
雰囲気も、万博会場というよりは、国際見本市会場、晴海や幕張のメッセの外部空間に、近いかもしれません。
151005 Milano EXPO (96)s
外観写真が昼光で撮れる時間も限られており、雲行きもだんだん怪しくなる予報。
気になるパビリオンを、とりあえず、すさまじいスピードで回り、写真を撮っていきます。
やはり、時代を反映しているんですかね。
鉄骨やガラスが目立つ、大規模な建物より、木を構造体や仕上材に使った、やさしい感じの建物が、多く、目につきます。
木造も、直線材より、集成材を使った、曲線状の建物が多く、ムクリやソリを、色んな国がチャレンジ。
フランス館の内部など、その曲率は、逆に自然らしさから遠ざかるような気もしないでも、ないです。
151005 Milano EXPO (48)ss 151005 Milano EXPO (57)ss

151005 Milano EXPO アゼルバイジャン館ss 151005 Milano EXPO COPAGRI館ss

151005 Milano EXPO EXPOセンターss 151005 Milano EXPO Intesa Sanpaolo館ss

151005 Milano EXPO Intesa Sanpaolo館2-ss 151005 Milano EXPO KIP館ss

151005 Milano EXPO UAE-ss 151005 Milano EXPO アイルランド館ss

151005 Milano EXPO アメリカ館ss 151005 Milano EXPO イスラエル館ss

151005 Milano EXPO エストニア館2-ss 151005 Milano EXPO カリタス館ss

151005 Milano EXPO スペイン館ss 151005 Milano EXPO スローフード館ss

151005 Milano EXPO スロベニア館ss 151005 Milano EXPO チリ館ss

151005 Milano EXPO バスマティ館ss 151005 Milano EXPO ハンガリー館ss

151005 Milano EXPO バンカ館ss 151005 Milano EXPO フランス館ss

151005 Milano EXPO ベトナム館ss 151005 Milano EXPO ポーランド館ss

151005 Milano EXPO マレーシア館ss 151005 Milano EXPO ロシア館ss

151005 Milano EXPO 中国館ss 151005 Milano EXPO 集合館ss
パビリオンの中で異彩を放っていたのは、やはりイタリア館。
仮設の建築物ではなく、常設館。
地方博でも、県館とか、市館と銘打って、残る建物です。
常設館を設計したことはありませんが、やはり仮設に負けてはいけない、と、かなりのプレッシャーはあるんでしょうね。
まあ、でも、日本では、やはりお役所仕事の常設館。
あまりプレッシャーを感じてくれない、設計者も、多いですが。
151005 Milano EXPO (92)s

151005 Milano EXPO イタリア館s
各パビリオンを、精力的に回りますが、やはり時間はかかり、実際に入場したのは・・・、日本館、のみ。
2時間ほどの待ち時間。
もう会期の閉幕も近い、というのに、行列の誘導やサイン計画はまずく、プライオリティの列に間違って並んでしまう客もしばしば。
我々は日本人スタッフに気楽に質問できますが、英語やイタリア語を話せない人にとっては・・・。
一般の人の意見を吸い上げる体制は、残念ながら、できていなかったようです。
151005 Milano EXPO (212)ss 151005 Milano EXPO (225)ss

151005 Milano EXPO (228)ss 151005 Milano EXPO (215)ss
肝心の、展示・・・。
新しい技術を駆使し、また最後のショーは実際の人も登場してのパフォーマンス。
イタリア人には受けもよく、展示部門では金賞を取った、というニュースも流れましたが・・・。

正直、日本人である我々には・・・?
プレショーは、手抜きの感。
メインショーのプログラムも、いま一つ、その先が、ない。
ライブ感はいいけど、日本人女性に、魅力が足りず?
食堂部分に併設する舞台部分も、プロセニアム形式の、相変わらずの舞台、気楽に参加、の雰囲気はなく。
木の格子は、無垢材は調達できなかったのか、集成材。
木組じゃなく、ボルトが見えても、違和感はなかった、のでは?

と、あんまり、いい印象は受けません、でした。
おそらく、ヨーロッパの人たちが抱く、日本人像、日本のイメージをベースに考えられたのでしょうが、まあ、それで入場者数も多く、賞も取ったのでしょうが、なんだかなー?
他国のパビリオンに入っていないため、比較はできませんが、セビリア博等に比べ、建築がおとなしかった分、展示にはもう少し、力を入れて欲しかった、という気がします。

ミラノ Ⅲ 151004

ミラノ Ⅲ
同じエリアの横にあるのが、ザハの集合住宅。
リベスキンド棟よりは、やや中層の建物。
水平方向を強調するデザインで、ヴェネツィアで何艘も見た、豪華客船のよう。
これも、中を見たかったですが、もちろんゲート、あり。
日本の集合住宅のように、酔っ払って帰ったら、違う家のチャイムを鳴らしてしまう、なんてことはない、でしょうね。

バルコニーや外壁の一部には、面一で、天然木の板材が貼ってあります。
さすがに、垂れ壁のような下端表しの部分では、早くも木の色落ち、そり、ひび割れが見られ、多少、将来のメンテが心配な建物では、あります。
しかし、日本の高層集合住宅のメンテの最大の問題は、足場代。
意外と、凹凸が激しく、上下階が一致しない、このような建物の方が、層間での足場掛けが可能になり、悪くなった部分のみのメンテができるような気もします。
均一の、狭いバルコニー、共用廊下・・・。
そんな日本の集合住宅と、自由で楽しい、バリエーションにあふれる海外の集合住宅。
建物一生のトータルコストは、もしかしたら、それほど変わらないのでは?とも、思います。
151004 Milano City Life2 (20)s

151004 Milano City Life2 (23)s 151004 Milano City Life2 (24)s

151004 Milano City Life2 (32)s


最先端?の集合住宅を見学した後は、古い、やはり集合住宅の見学に向かいます。
日程上、コモには行けなかったため、テラーニのカサ・デル・ファッショやサンテリア幼稚園は見ることができませんでした。
その代わり、でもないですが、訪ねたのはルスティチ集合住宅。
151004 Milano Casa Rustici (2)s
壁やスラブの見付寸法、間口と階高、開口部のプロポーション等は、カサ・デル・ファッショと通じるものがあるのかもしれません。
凛とした、緊張感と美しさを感じます。
何より特徴立てているのが、通りに面する両側の住戸のテラスが、中央のブリッジで繋がっている造形。
かなりの交通量のある道路ですので、ブリッジ部分に洗濯物を干したり、花を植えたり、BBQをしたり、という使い方はさすがにできないでしょうが、ブリッジを渡すことで、中庭を形成し、ある程度のプライバシーも守る、目隠しとしての機能も期待したのかもしれません。
惜しむらくは、1階のフェンスや壁。
おそらく、建設当初はなかっただろうと思うのですが、我々のような不法侵入者を防いだり、下からの視線を遮ったり、の要望があったんでしょうね。
ブリッジが、さらに有機的に見えただろうに、と思うと、残念です。
151004 Milano Casa Rustici (6)s

ほぼ、予定通りの見学を終え・・・、あきらめたのが、ニーマイヤーのモンタドーリ出版本社、ピアノのアンチンボルト劇場、ロッシの記念碑、ジオ・ポンティのピレリビル・・・、ははは、たくさん、ありましたね。
やはり、建物を多く見て回ろうと思えば、日が長い、6月くらいがいいんでしょうね、デブな私には暑い、けど。
10月ともなると、ほんと、昼が短い。

一度、ホテルに戻り、真っ暗な中、出かけたのが、三四郎、いやサン・シーロスタジアム。
そう、ACミランの本拠地です。
せっかくイタリアへ行くなら、セリエAも見たい、と思ってチケットの手配を、日本で依頼。
旅行日程の中で調整がついたのが、ACミランとナポリの試合。
インテルは、アウェイで、どっかへ行っていたと思います。

本田も長友も、出場機会に恵まれていなかった、この時期。
せめて、途中投入でも、本田を見たい、と思ったのですが・・・。
まあ、でも、日本でもJリーグファンで、あちこちのスタジアムへ出かける我々。
本場のスタジアム、そしてその雰囲気を味わえただけでも、幸せな時間、でした。
日本の入場券の、数倍、10倍近く、金額が高いのは、痛かったですが。
151004 Milano San Siro11s

151004 Milano San Siro-ss 151004 Milano San Siro2ss
いやはや、8万人収容、すごいスタジアムでした。
地下鉄は超満員、駅から地上へも、なかなか、出れません。
スタジアム回りで、入場ゲートを探し、人垣の中を彷徨っていると、聞いたこともない、大音量の爆発音。
うわっ、これはテロに違いない。
日本に残してきた子供たち、ごめんよ、お父さんたちはここで死ぬかも、しれない・・・。
と、真剣に、一瞬、覚悟を決めますが、何故かイタリア人は平気な顔をして、ゲートへ急いだり、食べ物屋さんを物色したり。
単なる、爆竹、だったんでしょうね。
びびり、ました。
先日は、パリ郊外のサン・ドニで実際にテロが発生。
さすがにイタリア人も、今頃は、爆音、爆竹には多少、びびって、いるかもしれませんが。

フィレンツェのドオゥーモ上りを思い出すかのような、果てしない階段を上り、いよいよ指定された観客席へ。
強豪ナポリとの対戦でもあり、ほぼ超満員。
縦通路の間隔が30席くらい毎と遠いため、パニックが起こった時の状況を想像すると、恐怖すら覚えます。
ゴール裏のコアなサポーター軍団は早くも爆竹を鳴らしたり、煙や火を出したり。
観客席の上部は全て屋根があり、開いているのはピッチの上のわずかな部分のみ。
その音響効果は素晴らしく、スタジアムDJの声やサポーターの声は数倍に増幅、まるで劇場にいるかのように、観客の気分を高揚させていきます。

そして大音響の、選手紹介、残念ながら、やはり本田はサブにも、名前なし。
キックオフ。
盛り上がりは最高潮。
ミランの勝利を信じて疑わない、サポーター。

0-1、まだまだ・・・、0-2、早めに1点返そう、0-3、うっ・・・。
ははは、まさかの大敗。
さすがに3点目を取られると、帰路につくサポーターも、目立ってきます。
結局、0-4の屈辱的スコアで、敗戦。

試合終了とともに、悲しそうな顔のサポーターが一挙に地下鉄の駅を目指します。
みんなの心が荒れているのか、通路もゴミだらけ。
地下鉄の便に合わせ、500人ずつほどで、駅への入場制限。
試合開始が20:45と遅かったこともあり、ホテルへたどり着いたのは、24時過ぎ。
コンビニもなく、レストランも閉まり、冷蔵庫の中の、わずかなつまみで、空腹をごまかして、その日は終わります。

ミラノ Ⅱ 151004

ミラノ Ⅱ
この日はたっぷり、現代建築を見てまわることにします。
まず、午前中向かったのが、ロッシのガララテーゼ集合住宅。
が、なかなか、これが見つからない。
事前にMAPでマークは入れていたのですが、白い建物が、道路からは見えない。
小雨が降る気候に、だんだん焦りも覚えます。
見える範囲にあるのは、青や黄色のポイントカラーが鮮やかな、別の集合住宅。
なかなか有機的で、楽しそうな集合住宅なんで、ちょっとだけ見てみようと、敷地の一角のゲートがたまたま車の往来で開いたので、敷地内へ入ってみます。
151004 Milano Gallaratese Housings (4)ss 151004 Milano Gallaratese Housings (5)ss

151004 Milano Gallaratese Housings (2)s

151004 Milano Gallaratese Housings (11)s
外壁の凹凸が多く、大小のシリンダーで有機的な動線を作ったり、と、なかなか日本では建築家がやりたくても、経済、効率化優先で、できない、楽しそうな生活空間ができています。

広場を横切り、さらに敷地奥へ進んでみると・・・、ははは、ありました。
目的だった、ロッシの、白い、集合住宅。
薄い壁柱の列柱。
正方形の窓、黄金比率だろう開口部、面一の外壁・・・。
きれいな建物であることは、間違いないのですが、空き部屋も多いのか、生活感が、全くありません。
ピロティ下も、怖いくらい、ひと気もなく。
151004 Milano Gallaratese Housings (15)s

151004 Milano Gallaratese Housings (25)s
帰国後、調べてみると、一帯の集合住宅はロッシとカルロ・アイモニーノという建築家の共同設計、だとか。
手前の派手な色を使った建物がアイモニーノ。
奥の真っ白な建物が、ロッシ。
熊本のアートポリスの集合住宅でも、ロッシの建物に似たデザインが多かったように思いますが、できればアイモニーノ棟の設計主旨を参考にして欲しかった。
と、私は、思います。

多少、がっかりして、敷地外に出ようとしますが、ゲートは閉まったまま。
人や車の出入りも極端に少なそうだし、どうしようか、と思っているところに、住民さん登場。
丁度、外出されるよう。
出たいんですが・・・、とお願いし、一緒にゲート外へ・・・、助かりました。
やっぱり、不法侵入は、ダメですね。

次にジオ・ポンティの礼拝堂へ向かいます。
ピレリビルはいつでも遠くから見れるだろうと思い、こちらを優先しましたが・・・。
日曜日、でした。
サンカルロという病院の一角にある、この礼拝堂に着いたのが、11時くらいだったでしょうか。
玄関から中を覗くと、ミサの真っ最中。
さすがに、なんちゃって仏教徒が厚かましく侵入し、写真をバシャバシャ撮るのはまずかろうと、外部を見たり、猫と遊んだりして、ミサが終わるのを待ちますが、正午が近づいても、終わらず。
ついに内部見学をあきらめ、次の目的地へ進みます。
屋根架構や、伝統にとらわれない、6角形の礼拝堂の雰囲気を、是非、見たかったのですが。
151004 Milano The Chapel in the N-S-C (1)s

151004 Milano The Chapel in the N-S-C (6)s 151004 Milano The Chapel in the N-S-C (8)s
外部も工事中でしたが、仮囲いがない範囲でも、スリット部は鉄筋が露出し、錆があったり、モルタルがはがれたり。
予算も厳しいのでしょうが、現代建築はメンテをしない時の、劣化の仕方は、もしかして古い建物より、そのスピードは早く、また目につきやすいのかも、しれません。

次に向かったのは、ピアノのIl Sole 24 Oreという新聞社の本社ビル。
新聞社なら、日曜日でも開いているんじゃないか、見学コースも設定しているんじゃないか、と期待したのですが・・・。
やはり、休み。
社名は、24時間の太陽、という意味らしいですが、やはり、休日はある、ようですね。
同じく、外観だけの見学となります。
ここも、リンゴットと同じように、工場のリノベーション。
外壁含め、さらに大胆に、ガラスで全体を包み、全く異なる建物を産んでいます。
構造躯体を耐震診断の名のもとに、すぐ、不適格と決めてしまう、日本。
スクラップ&ビルドのための、パラメーターを散りばめた、構造耐力の計算式なのでは?、と思うことも、しばしば、です。
151004 Milano Il Sole 24 Ore (11)s

151004 Milano Il Sole 24 Ore (3)ss 151004 Milano Il Sole 24 Ore (9)ss

500mほど歩き、目に飛び込んできたのは、すさまじい、と形容したくなるような、集合住宅が二つ。
一帯をシティライフ21と呼ぶらしいのですが、工事中の建物含め、全てが、まあ奇抜なデザイン。
ピサの斜塔を見た後ですが、この世から垂直な線を排除したいかのように、壁や柱は斜めが、あたりまえ。
21世紀の、まずはスタンダードな造形、なのかもしれませんね。

最初に見たのが、リベスキンドの集合住宅。
ベルリンのユダヤ博物館は見学しましたが、壁はまっすぐで、斜めのスリットや開口部で、流れを作っていたような記憶があります。
しかし、ここでは、外壁自体が斜め。
もちろん、バルコニーの仕上げ範囲で、それを強調していますが、内部空間にとってはそれほど奇異な変化ではないんだろうと思います。
一部、バルコニーの形状が開口部を覆い、開口部の機能とどう調整しているのか、不思議な部分もありましたが、楽しい住空間であることは事実。
自分の部屋がまわりからどう見え、自分のリビングから見える風景。
是非、どっかの家を訪れてみたかったんですが、ここも敷地全体がフェンス等で区画。
ゲートから不法侵入することは、止めました。
151004 Milano City Life-s

151004 Milano City Life2 (5)ss 151004 Milano City Life2 (10)ss

151004 Milano City Life2 (34)s
遠くには、磯崎さんの超高層、リベスキンドの現代美術館も工事中でした。
151004 Milano City Life2 (30)ss 151004 Milano City Life2 (33)ss

ミラノ Ⅰ 151003

ミラノ Ⅰ
最終宿泊地、ミラノへ到着します。
中央駅から、地下鉄直結のS線に乗り、CENTOSAという駅で下車。
ホテルまでは、ちょっと遠く、徒歩20分ほど、だったでしょうか。

夕刻迫る時間、目の前に、変な?ホテルが現れます。
これまでの、重厚な、歴史あるホテルと違い、現代的な、ガラスの超高層、ガラスのキャノピー。
オフィスビルかとも、思えます。
151004 Milano Barcelo Milan2 (3)s
実は、ミラノには4泊するのですが、旅行代理店の同級生に中心部のホテルを4泊押えてもらった後に、ネットで偶然発見したホテル。
どうしても泊ってみたくて、無理言って、2泊を、このホテルに変更してもらったもの、です。
設計はシモーネ・ミッケリーという人とか。
外観もさることながら、内部へ進むと
151004 Milano Barcelo Milan2 (5)ss 151004 Milano Barcelo Milan2 (6)ss

151003 Milano Barcelo Milan8ss 151003 Milano Barcelo Milan9ss

151003 Milano Barcelo Milan11ss 151003 Milano Barcelo Milan14ss
つきぬけた、ロビー空間が待ってます。
TDLの周りにありそうで、ない、楽しいホテル、そんな感じでしょうか。
周辺にレストランもなさそうなんで、初めて夜の食事をホテルで食べましたが、家族ずれが多く、館内は子供の歓声で、うるさいくらい。
イタリアでは、レストランというより、BARばかり行っていましたので、イタリア人の子供がいる場所で食事をするのは、初。
3代が集まるファミリーも多く、現代イタリアの日常?の一般家庭を見れた気がして、こちらとしても楽しい夕食、でありました。
151003 Milano Barcelo Milan2ss 151003 Milano Barcelo Milan4ss

Hotel Barcelo Milan
151004 Milano Barcelo Milan2 (9)ss 151004 Milano Barcelo Milan2 (10)ss

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151004 Milano Barcelo Milan2 (14)ss 151004 Milano Barcelo Milan2 (8)sss
鏡張りのベッドルーム、ドアがなく、ガラスが壁のシャワー室、青や黄色の壁、照明・・・。
行ったことはありませんが?、日本のラブホテルのような客室。
50代の我々には、ちょっと、刺激が強すぎる、部屋でした。

ヴェローナ 151003

ヴェローナ
次に向かったのが、ヴェローナ。
ご存知、ロミオとジュリエットの舞台となった街、です・・・、あんまり興味はありませんが。

時間はやや押し気味なため、3か所予定していた訪問先の内、ヴェローナ銀行と、ロッシの集合住宅は、あきらめます。
下車したのは、ポルタ・ヌオーヴァ駅。
やはり、荷物を預け、次のミラノまでの座席指定を先に行います。
設定所要時間は、1時間半くらいだったように思います。
駅からの距離は1kmほど。
往復で30分かかるとして、見学が残り1時間、と計算。

急ぎ、北の方角へ歩を進めます。
やがて石垣の城壁が見えてきて、目的地到着。
やはりスカルパが、かつてのお城を、市立美術館に改装した建物、カステルヴェッキオ。
規模も大きく、あちこちに、それこそ建物の内外から、展示物の台に至るまで、微に入り細に入り、スカルパデザインが残っています。
151003 Verona Castelvecchio-ss 151003 Verona Castelvecchio5ss

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151003 Verona Castelvecchio127s
自然光と、人工照明の、絶妙なバランスが醸し出す、緊張感のある、でも温かみもある、展示室。
絵画より彫刻やオブジェ、立体物の展示には、とてもいい空間だと思います。
151003 Verona Castelvecchio23ss 151003 Verona Castelvecchio26ss

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さらに奥へ進むと、外部の造形が、次から次に。
写真の枚数も、すさまじく増えていきます。
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151003 Verona Castelvecchio109ss 151003 Verona Castelvecchio110ss
あまりに見どころが多く、ついつい、予定時間をオーバー。
奥さんに急かされながら、それでも、戻っては撮影。
小走りで駅に戻り、列車に飛び乗るように、滑り込み・・・。
いやー、もっとじっくり、滞在したかった、再訪したい、そんな、いい建物でした。


トレヴィーゾ 151003

トレヴィーゾ
ヴェネツィアから最終宿泊地ミラノへ向かう途中にヴェローナに寄り、ミラノより少し先のコモまで行って、ミラノへ入ろう、という計画でしたが、これまでの経験から、時間的に厳しいだろう、また一度はあきらめたトレヴィーゾも、やっぱり行ってみたい。
ということで、やや予定を変更し、まずトレヴィーゾを目指します。

最寄りの駅を検索すると、ヴェネツィアから真北に位置するトレヴィーゾの中心駅ではなく、西へ15kmほど離れた、カステルフランコ・ベネトという駅。
しかも、時間節約のためにも、幸運でしたが、ベネツィアから北西方向、斜めに直通する地方線の路線を発見。
迷わず、乗車。
予定していた時間より、だいぶ節約します。

が、駅から先が、先人の訪問ブログを見ると、難攻不落、とか。
徒歩とバスを合わせて、2時間ほどかかる、とのこと。
とてもそんなに時間を割けない我々は、迷わず、いや実際はどれくらいの金額がかかるかわからず、多少迷ったのですが、タクシーを選択。
良心的なタクシーの運転手に当たることを祈って、駅の外へ出ます。
が、あいにく、いや、その様子から想像するに、いつもなんでしょう。
客待ちをするタクシーは・・・、1台だけ。

おっと、この旅で、初めてボラれるか?
メータープリーズ、お土産ノー、おんりぃじすぽいんと・・・。
インドでの、リクシャワーラーとの折衝や失敗が、やはりトラウマになってますかね。
恐る恐る、写真を見せ、ここへ行きたい、と説明。
英語が話せない運転手でしたが、知っている場所だったらしく、OK、OK。
無事に、車中の人となります。

やっぱり、人を疑っちゃ駄目、ですね。
メーターも倒し、MAPで表示される、最短ルートで行ってくれます。
そして目的地が近づくと、帰りはどうするんだ、と、心配の声をかけてくれます。
では、と、身振り手振りで、私の時計を指さしながら、1時間後にまた来てくれるか?とお願いすると、OK、OK。
保証の意味でも、ここまでの料金を払っておこう、とすると、それも最後でOK、OK。

見学後、約束の地点に行ってみると、どうも駅に帰ったふうではなく、そのまま、その場で待機していたよう。
おっと、これは、安心させておいて、待機時間も合わせて高い請求をするのか?
と、また悪いくせですね、一瞬疑いましたが、同じように駅まで帰り、行きの金額と帰りの金額の合計より、安い金額で、OK、OK。
いい、運転手さん、でした。
時間も、ものすごく、節約できました。
疑って、すいません。

ドイツでも、似たようなことがありました。
確か、ヘッペンハイムという田舎町で、さらに郊外の木造の体育館やツリーハウスを見学に行った時だと思います。
その時は、太った女性の運転手。
車はベンツでしたが、まだ小さい次女のために、チャイルドシートをセッティングしてくれたり、やはり、帰りの足を気にしてくれて、待機してくれたり。

田舎の、タクシー運転手さん、なかなか、素敵、です。
日本じゃ考えられない、ですが。

という経緯で訪れたのが、墓。
151003 Treviso Brion-Vega Cemetery-s
スカルパのブリオン・ヴェガ廟、です。
夫婦二人のための、公園とも思える、リッチな墓。
高野山はじめ、日本にも大きな、立派な墓はたくさんありますが、墓の概念は、相当違うような気がします。
周りには一般の墓もあり、墓参の人も絶えない、管理も手入れも行き届いている墓地。
入口に、これだけツタ類が覆い繁っていても、撤去しないのは、そういう思想で作られた、廟なんでしょうね。
奥へ進むと、軸をすらした階段の先に、青と赤の、円。
今でも、きれいな色を残していました。
夫婦二人だけで、死後も一緒に。
タージマハルの悲劇を考えても、意外とそれは難しい、ことなのかもしれません。
151003 Treviso Brion-Vega Cemetery16ss 151003 Treviso Brion-Vega Cemetery24ss

151003 Treviso Brion-Vega Cemetery48s
左手に進むと、敷地に対し、45度振られた、墓石?が見えてきます。
橋のようなコンクリートのアーチが、石でできた二つの墓石を覆っています。
さすがに水平使いの打放しは、雨ざらし環境が厳しいのか、一部鉄筋が露出しているところもありますが、細かい造形はしっかり残り、重厚に、でも、軽く、夫婦の墓石をやさしく、見守っているかの、ようです。
151003 Treviso Brion-Vega Cemetery29ss 151003 Treviso Brion-Vega Cemetery30ss

151003 Treviso Brion-Vega Cemetery40ss 151003 Treviso Brion-Vega Cemetery45ss

151003 Treviso Brion-Vega Cemetery31ss 151003 Treviso Brion-Vega Cemetery34ss
ここから左へ進むと、直方体を傾けたような、シンプルな造形。
家族のお墓、です。
やはり、やさしく、土に埋められた墓石を見守っています。
151003 Treviso Brion-Vega Cemetery38ss 151003 Treviso Brion-Vega Cemetery97ss
自然な通路造形に従って、さらに左手を進むと、現れるのが礼拝堂。
なんちゃって仏教徒の我々が、軽々しく入り、写真を撮るのが憚れるような、厳粛な、祈りの空間になっています。
151003 Treviso Brion-Vega Cemetery58ss 151003 Treviso Brion-Vega Cemetery87ss

151003 Treviso Brion-Vega Cemetery89s

151003 Treviso Brion-Vega Cemetery83ss 151003 Treviso Brion-Vega Cemetery41ss



ヴェネツィア Ⅳ 151002

ヴェネツィア Ⅳ
次に、サン・マルコ広場の運河の対岸、先端の、平面的には三角形の建物へ向かいます。
プンタ・デッラ・ドガーナというらしいですが、かつて税関だった建物を現代美術館として改装したもの。
設計は、安藤忠雄。

レンガの壁、木造トラスの屋根に、どう安藤流を注いだのか、これも見るのが楽しみ、でした。
151002 Venezia Punta della Dogana di Mare5s 151002 Venezia Punta della Dogana di Mare3s
外観は、ほとんど触ってないのかもしれません。
鉄の格子戸が目立ちますが、スカルパかな、とは思っても、誰も安藤さんとは思わないでしょう。
そして、内部へ入ってみると、最初は控えめかな、とも思いましたが、進路を進むにつれ、しっかり安藤流が組み込まれ、そして根付いています。
もちろん、レンガの壁や木造トラスと、喧嘩してもいけない。
目立ち過ぎて、勝ってもいけない、でも、負けてもいけない。

生コン車が進入できるエリアでもなく、おそらく大きな台船をチャーターしての打設だったんでしょうが、程良いボリュームで、化粧打放しの自立壁、まぐさ、大きな開口、階段・・・。
いつもの安藤さんが見られます。
もっとも、神戸や京都の初期の作品は、打放しだけじゃなく、暖かい材料もうまく使っていた、安藤さん。
いつの間にか、大規模な建築の設計が多くなり、初期の魅力が失われていった、という印象もありますが、ここでは一切、そういう感想は抱きません。
外部や社会と闘うのではなく、既存の、何も言わない環境と、じっくり話し、そして闘う。
新国立では、非難の的になった安藤さんですが、いつも何かに挑戦する作品を造ってきたのは、事実。
日本で、正しい再評価をされることを、期待しています。
151002 Venezia Punta della Dogana di Mare18s

151002 Venezia Punta della Dogana di Mare48s

151002 Venezia Punta della Dogana di Mare45ss 151002 Venezia Punta della Dogana di Mare61ss

151002 Venezia Punta della Dogana di Mare23ss 151002 Venezia Punta della Dogana di Mare34ss

それにしても、疑問が残ったのが、日本以上に美しいコンクリート打放しを、どのようにして打設したのか、という点。
日本から監督や職人を連れていくにしても限界はあるだろうし、そんなに真面目に働くとは思えないイタリア人に、そんな繊細さとタフさがあるとは思えないし。
まあ、コンクリートについては、ヴェネツィア全体で、高い建物をどのように作っていったか、全く不思議、ではありますが。
151002 Venezia 船からコンクリート打設ss 151002 Venezia 船からコンクリート打設2ss
やっぱり、ネコ、ですかね?

ヴェネツィア最後の訪問地は、沖の小さい島に建つサン・ジョルジョ・マッジョーレ教会。
橋がないため、ヴァポレットでの移動でした。
設計は、パッラーディオ。
ヴィチェンツァには行けませんでしたので、今回、唯一見学した建物になります。
建築四書も、恥ずかしながら読んだことはありませんが、彫刻や絵画からの連続としての建築だったものを、初めて平面図から形を立ち上げ、空間を造ったとか。
今では当たり前の手法ですが、当時は画期的だったんでしょうね。
各部のプロポーションを、部材や部材間の調和する比率から決める。
その後に与えた影響は、計り知れないのかも、しれません。
現代の、CGにより重力から開放され、自由な3次元立体も可能になってきた建築界。
建築を頭で考えるか、もう一度、彫塑的空間を指向するか?
建築家の選択肢が増えたことだけは、確かだと、思います。
151002 Venezia Hotel Gabrielli屋上より8s

151002 Venezia San Glorgio Maggiore2s

151002 Venezia San Glorgio Maggiore8s

151002 Venezia San Glorgio Maggiore12ss 151002 Venezia San Glorgio Maggiore28ss
立地条件のためか、現在では教会としてより、若手発掘の美術館として、機能しているようでした。
中央の、ワイヤーフレームによる、巨大な顔は、なかなか・・・、不気味、でした。

ヴェネツィア Ⅲ 151002

ヴェネツィア Ⅲ
狭い島々、全ての目的地が徒歩、あるいはヴォレットで行けるため、順調に計画を遂行していきます。

橋めぐりの次に向かったのは、スカルパが改装した、クエリーニ・スタンパーリア財団。
サン・マルコ広場から、すぐの建物です。
建築ガイドブックにも載っておらず、恥ずかしながら全く知らなかった建物ですが、出国直前に届いた建築士会の月刊誌に掲載されているのを、偶然発見。
慌てて、スケジュール計画に組み込んだ、建物でした。

シンプルながら美しい太鼓橋があり、その横には運河から直接出入りできる、格子の玄関があります。
151002 Venezia Querini Stampalia5s

151002 Venezia Querini Stampalia3s
確か、建物への地上からの出入り口は、運河の多少、上流?下流?にあって、現代的なエントランスホールが、迎えてくれます。
その部分の設計は、マリオ・ボッタ。
スカルパ担当部分との干渉部分には、内部なのに外壁のようなヴォールト状の壁もあって、スカルパに臆することなく、いつもの造形を展開しています。

高級集合住宅のような?、電気ロックのロッカーに荷物を預け、いざ、内部へ。
先程の、運河からの玄関の、内側へと進みます。
潮位の変化に対応できるよう、レベル差を設けた、飛び石状の階段。
円形でもなく、矩形でもなく、一部を切り落としたような台形の飛び石。
ちょうど、運河をゴンドラが通過しています。
151002 Venezia Querini Stampalia21s
さらに内部を進むと・・・、中庭の処理含め、スカルパの世界、炸裂。
床なら床、壁なら壁、天井なら天井、ドアならドア、窓なら窓、照明器具なら照明器具・・・。
我々、才能も根性もない設計者なら、一本の線、一言の注釈、一冊のカタログで済ますであろう、その空間、その装置、その雰囲気を、おそらくその10倍の線で、10倍の模型で、10倍の言葉で・・・。
いや、失礼、ですね。
おそらく、その数百倍の、饒舌な才能が、そのまま、形、関係として表出、しています。
カタログやデータ、類似例を集めるのが、心ならずも主体になりかねない、現代の我々、建築家の設計行為。
反省すらできず、それが当たり前の世界になっている、住宅等のメーカー設計者。
経済優先の名のもとに、その仕組みを造ってきた、日本の建築業界。
今さらながら、反省すべき、学ぶべきものは、多すぎるのかも、しれません。
151002 Venezia Querini Stampalia17ss 151002 Venezia Querini Stampalia24ss

151002 Venezia Querini Stampalia26ss 151002 Venezia Querini Stampalia29ss

151002 Venezia Querini Stampalia33ss 151002 Venezia Querini Stampalia37ss

151002 Venezia Querini Stampalia42ss 151002 Venezia Querini Stampalia52ss

151002 Venezia Querini Stampalia64ss 151002 Venezia Querini Stampalia65ss

ヴェネツィア Ⅱ 151002

ヴェネツィア Ⅱ
起床し、屋上テラスで一服、ヴェネツィアの夜明けを楽しみます。
1階のレストランへ行き、おいしい朝食。
さすが老舗のレストラン、メニューも多く、味もいい、と、感服しますが、パンを温めようとトースターの網の上に置くと、「こらっ、これはトースト専用・・・」、と、若いメイドさんに怒られ・・・、「すいません」と、謝るオヤジ、私。
日本では見たことがありませんでしたが、トースターはコンベア方式になっており、連続運転。
手前にトーストを置き、1分ほどすると、奥のすき間から落ちる、というシステムに。
当然、すき間より大きい、クロワッサンや他のパンを置いてしまうと・・・。
日本の二枚ずつトーストを入れ、ポンと飛び出してくるトースターも魅力的ですが、確かに大勢の投入するトーストを捌くには、いいシステムなのかもしれませんね。

また一つ、賢くなったところで、ベネツィア観光、開始。
もちろん最初は、サン・マルコ広場へ向かいます。

本当に、ヨーロッパで最も美しいと言ったかどうかは、ナポレオンちゃんにでも将来、聞いてみないとわかりませんが、一角の開放部を底辺に、台形がわずかな角度を持って、開く形状。
やはりカフェやショップが占める回廊部分からの眺めは、飽きることを知りません。
151002 Venezia Piazza San Marco26s

151002 Venezia Piazza San Marco15s

151002 Venezia Piazza San Marco20s
我々も、300年続いているという、老舗のカフェに行き、オールドコーヒー?だったでしょうか、ぬるいお湯と、紅茶のようなティーポットが出てくる、入れ方もよくわからないコーヒーを注文。
回廊の一部では生バンドも演奏・・・、全く何の曲かはわかりませんが、私の中では佐野元春の曲だと信じて、その、お湯と同じように、ぬるい時間を楽しみます。
ただし、バンド演奏時は、ちゃんと請求書の中にもバンド演奏の項目がありますから、スタバやマックよりは、現金は少し多めにお持ちの方が、いいかな、と思います。
151002 Venezia Piazza San Marco4    古式コーヒーss 151002 Venezia Piazza San Marco37ss
地球温暖化に重ねて、この広場に海水が浸入するアックア・アルタの紹介がよくありますが、ハプニングは多いほど楽しいのが、旅。
秘かに、泳げない奥様を置き去りにしようか、と水中歩行も計画してましたが、残念ながら秋の大潮も過ぎ、護岸からの水位は、上がることもなく。

次に向かったのが、フィレンツェのヴェッキオ橋同様、訪れてみたかった、橋が二つ。
まず、アカデミア橋。
木造の美しい太鼓橋として知られますが、老朽化のためか、安全対策なのか、かなりの鉄骨による補強も。
それでも錦帯橋などに比べ、薄く、軽くできてますから、美しさはさすが、でした。
やはり学生時代、研究室でヴィエンナーレに応募、CGによる球面に沿った橋を提案したのは、この場所だったかもしれません。
金獅子賞は戴いたので、ヴィエンナーレの会場施設にもしかして記録されているかも、と思い、一度は訪ねてみますが、開館時間前。
結局、見れません、でした。
151002 Venezia Ponte dell Accademia2s

151002 Venezia Ponte dell Accademia13s
次に、リアルト橋。
残念ながら、半分工事中。
やはり、高級貴金属店が並ぶ橋ですが、整然としすぎていて、この手の橋としては、ヴェッキオ橋に軍配、ですかね。
外観は美しく、白い巨象、と呼ばれているそうです。
151002 Venezia Ponte di Rialto7s

151002 Venezia Ponte di Rialto6s
追加で、翌日、帰りのヴァポレットから撮った、サンタ・ルチア駅近くのローマ広場歩道橋。
設計はカラトラバですが、コンペ当選案にも関わらず、地元の人には人気ない、とか。
どっかの国でも、そういう話が、ありました、かね。
151003 Venezia Vappretto21ss 151003 Venezia Vappretto24ss


ヴェネツィア Ⅰ151001

ヴェネツィア Ⅰ
リンゴットを堪能しすぎ、午前中いっぱいを使ってしまったため、ヴィチェンツァ、トレヴィーゾ来訪は諦めます。
パッラーディオのロトンダ、見たかったのですが・・・。
ポルタ・ヌオーヴァ駅へタクシーで移動し、一路、大きく東へ移動、水上都市、ヴェネツィアを目指します。
ミラノやヴェローナを経由しますから、帰国時の空港をヴェネツィアに設定していれば、もう少し、余裕を持って回れたのかもしれません。

列車が、イタリア本土とヴェネツィアを結ぶ連絡橋のリベルタ橋を渡り出したのが、もう18時近く。
遠くに、いよいよ、水上都市が見えてきます。
151001 Torino→Venezia車中8ss 151001 Torino→Venezia車中10ss
サンタ・ルチア駅に着き、ヴェネツィア上陸。
ヴァポレットという、連絡船に乗り、ホテルに近い、サン・マルコ広場を目指します。
目的地や経由数に応じて、たくさんのヴァポレットがありますが、まずは各駅停車の1番を選択。
運河から見える風景を楽しみながら、007のロシアより愛をこめて、だったか、はたまたミニミニ大作戦のシーンだったか、よく憶えていませんが、ボートでの激しいチェイスシーンが思い出され、興奮は最高潮。
身を乗り出して、写真を撮ったり、動画を撮ったりと、初めて乗り物に乗った子供のような、はしゃぎよう。
しかも、運河とはいえ、海は海。
やはり釣りの禁断症状も現れて、ヴァポレットはじめ、モーターボート、そしてゴンドラの操船技術をまじまじと眺めたり、そのテクニックに感心したり。
あっという間の、小一時間、でした。
151001 Venezia Santa Lucia-ss 151001 Venezia Vaporetto4ss

151001 Venezia Vaporetto8ss 151001 Venezia Vaporetto10ss
サン・マルコ広場前の停車場から500mほど歩き、ホテルへチェックイン。
やっと、重たい荷物から開放されます。
やや長旅の疲れもあり、食事は近くのレストランへ。
海を眺めながら、海の音を聞きながら、これから始まるヴェネチァの旅へ、期待と興奮、そしてアルコールの心地よい酔いを、十分、堪能し、寝床へつきます。

Hotel Gabrielli
151002 Venezia Hotel Gabrielli-ss 151002 Venezia Hotel Gabrielli2ss

151002 Venezia Hotel Gabrielli6ss 151002 Venezia Hotel Gabrielli5ss

151002 Venezia Hotel Gabrielli4ss 151002 Venezia Hotel Gabrielli3ss
目の前が海、ヴァポレットの停車場も100mほど、サン・マルコ広場まで500mほどの、すばらしい立地条件のホテルでした。
建物は相当古く、木造部分も多く残り、やたら小さいエレベーターも、停まる度に、ガッタン・・・。
バルセロナのカサ・ミラのエレベーターを思い出しました。
水回りがないためか、2部屋を1つにしての、貸出。
カード式の電子ロックのドアじゃなく、重たい、重厚な鍵を、ロビーで受け取ったり、預けたり。
十分、歴史の重みを感じることのできる、素敵なホテルでした。
さらに特筆すべきは、屋上テラスからの眺め。
部屋では吸えない、タバコを持って、このテラスへ。
至福の時間、でした。
151002 Venezia Hotel Gabrielli屋上よりss 151002 Venezia Hotel Gabrielli屋上より2ss

151002 Venezia Hotel Gabrielli屋上より3ss 151002 Venezia Hotel Gabrielli屋上より4ss

151002 Venezia Hotel Gabrielli屋上より14s

トリノ Ⅱ 151001

トリノ Ⅱ
昨日の悪夢に疲れたのか、やはり起床はいつもより遅かったと思います。
ロビーの女性にお礼を言い、朝食へ。
レストランには、リンゴットのドローイング。
あー、こういう建物に泊ったんだ、と、改めて、認識します。
150930 Torino NH Lingotto38ss 150930 Torino NH Lingotto39ss
おいしい朝食を食べ、建物見学、ようやく開始、です。
昨日は憂鬱な気分で歩いた、ガラスの廊下。
ロの字形の建物の中庭を、横断している通路で、シンプルな、でも美しいディテールで構成されています。
150930 Torino NH Lingotto29ss 151001 Torino Lingotto7ss
ロビー空間にも、矩計図のドローイング等が壁紙として展示されており、また外部にはポンピドーを思わせるごみ箱もあったり、と、ピアノがじわじわ、攻めてきます。
150930 Torino NH Lingotto17ss 151001 Torino Lingotto4ss
外観は、もともとの建物をそれほどいじってはないと思いますが、そこは何と言っても長さ500mの建物。
すさまじい迫力、です。
昨夜の、どこへ行っても、同じ建物の脇から抜けられない、恐怖・・・。
少しは、理解して頂ける、でしょうか?
151001 Torino Lingotto3s
そして、10時からは屋上が開放。
展示室側のエレベーターから、上ることができます。
両端に呼応するかのように、追加された、四角い、船のような展示室、そして工事中だったため、中には入れませんでしたが、丸いガラスのドーム。
間にあるのは・・・、ははは、何故かサーキット。
一周、1km以上の周回コースがあります。
もちろん、現在は使われいませんが、この建物がフィアットの工場だった当時、屋上はテストコースだった、とか。
開発競争が激しい自動車産業。
確かに屋上にテストコースがあれば、ドローンもなかった時代、他社の目に触れることは、ありません。
ミニミニ大作戦という映画の、オリジナルの方だったか、新しいリメイク版の方だったか、確かではありませんが、このコースをミニが3台、疾走するシーンがあったのを、憶えている方も、いらっしゃるかもしれません。
151001 Torino Lingotto17s

151001 Torino Lingotto26s

151001 Torino Lingotto14s
たった一日の滞在でしたが、良きも悪きも、強烈な印象を与えてくれた、トリノ。
ドゥオーモには聖骸布も保管されているとか。
是非、もう一度、じっくり訪れてみたい、と感じさせてくれる、街でした。

HOTEL NH Lingotto
150930 Torino NH Lingotto9ss 150930 Torino NH Lingotto12ss

150930 Torino NH Lingotto24ss 150930 Torino NH Lingotto14ss

150930 Torino NH Lingotto22ss 150930 Torino NH Lingotto23ss

150930 Torino NH Lingotto6ss 150930 Torino NH Lingotto8ss

150930 Torino NH Lingotto7ss 150930 Torino NH Lingotto19ss

工場だったためか、階高は高く、天井も高い、気持ちのいい、ホテルでした。
家具や備品も、有名デザイナーの作品をそろえ、開口部のディテールも楽しく。
アクシデントがなかったら、より、楽しい想い出が多く、できたのでしょうが・・・。
ホテル以外にも商業飲食施設が相当、組み込まれており、日本で見られるイオンモールのような世界もありました。

日本では、大規模なリフォームをリノベーションと呼ぶことも多いようですが、元々はこういう、それまでの機能とは全く異なる機能を組み込むことで、建物に新たな命を吹き込むのが、リノベーション。
公共建築物をすぐ、ザ・ハコモノにしてしまう、日本の行政、マスコミ、そして市民。
是非、一度、訪れてみて欲しい、建物、でした。

トリノ Ⅰ 150930

トリノ Ⅰ
ピサから乗った列車は、順調に西海岸沿いを北上。
ジェノヴァ付近はじめ、きれいな海の上に、プレジャーボートもちらほら。
釣りの禁断症状が出始め、なぶらや鳥山ができないかと、ずっと海上を眺めます。

トリノでは、ターミナルであるポルタ・ヌオーヴァ駅に着くと思ってましたが、車掌さんに確認すると、一つ手前のリンゴット駅にも停まるとのこと。
ホテルや見学施設も近いことから、迷わず、その駅で下車します。
出口のある西口から南下し、高架橋を通って東側へ行きますが、北側を見かえると巨大な赤いアーチが見え、その時はモニュメントか何かだろう、と、あまり気にしませんでした。

そのまま東へ進み、ネルヴィの労働会館を訪ねますが、既に建物は使われていないのか、敷地内進入禁止。
外壁は汚れ、ガラスは割れたまま・・・。
遠くから、その廃墟を眺めるだけとなります。
150930 Torino Passerella Olimpica-ss 150930 Torino Palazzo del Lavoro-ss
重い荷物を運んでいたため、もう一つのネルヴィ、展示場は翌日に訪れることにし、宿泊ホテルでもあり、見学目的施設でもある、リンゴットへ向かいます。

やたらに長い、建物で外形は500m×100m。
どこがホテルの入り口かもわからず、係員さんに聞きながら探し、やっとロビーへ。
チェックインの手続きを、始めます。

明るくも、重厚なロビー。
中庭に見えるガラスの通路。
一晩、そして翌日の建物見学と、わくわく、します。

そんな時、でした。
突然、後ろで荷物番をしていた奥さんが「財布がない!」の、雄たけび。
手提げカバンの中をどれだけ探しても・・・、ない。
服のポケットにも・・・ない。
激しく動揺する、奥さん。

とりあえずチェックインを済ませ、荷物を部屋へ。
美しいガラスの廊下、重厚な部屋や家具でしたが、楽しむ心の余裕は全く、なく。

「なんで貴重品を見につけておかないんだ」
「なんでぼーっと、してるんだ」
「なんで列車で寝るんだ」
「だいたい、おまえは・・・」

失敗を責める言葉が、口から今にも出そうになりますが・・・。
涙を浮かべ、自分を責めている、我が奥様。
ここで追い打ちをかけては、きっと、いや間違いなく、この旅も台無しになる。
と、思いとどめ、必死に冷静を装います。

食材を入れた紙袋に入れていたかもしれない、駅に探しに行ってくる、という奥さん。
わかった、カードや日本大使館への連絡方法を調べておくから、と私は部屋へ残り、頭の熱を下げよう、多少は自分で苦労してきなさいと心の中で言い、奥さんを見送ります。

ところが、ふと気付くと、外はもう夕闇。
レンタルWiFiは、私が持っているため、LINE等で連絡することもできません。
しまった、こんな夜に、海外で、女性を一人で行かせてしまった。

やはり、心配になり、私も駅へ向かうことに。
しかし、昼間と違い、また駅から直接ホテルへ来たわけではないので、方向が全くわかりません。
スマホのMAPを頼りに、地図に表示される経路を急ぎますが、GPSの精度なのか、情報も途切れ途切れ。
ゆっくり移動しては、現在地もほとんど変化せず、たまに更新されると、逆の方向へ行っていたり。

一度、奥さんから電話がかかり(国際電話)、こちらも駅へ向かっていることを伝えますが、相変わらず似たようなエリアを行ったり来たり。
さっぱり、駅付近へ向かうことができません。

人気のない道路、誰もいない駐車場、いても若者のたまり場・・・。
心配で、太陽にほえろばりに、走りに走り、息もぜいぜい。
一度、イタリアの方に道を聞きますが、どう考えても違う方向。
我々が通った高架橋の方向ではありません。

リンゴットの長い建物から、二本のブリッジが突出しており、地図では駅の北側の方で、その内、一本が線路を横切るように表示されており、実際に行ってみますが、どう見ても、現在使われているようなブリッジではありません。
中央には動く歩道もありますが、全く、動かず。
それでも先端まで行ってみますが、階段にはブルーシートが掛けられ、工事中か使用中止の様子。
照明もほとんどなく、ほぼ、真っ暗。

怖くなり、一度ホテルへ戻り、タクシーを呼んでもらおう、とブリッジをリンゴット方向へ歩いていると、建物側から複数の女性。
再度、道を聞くと、今、戻りつつあったブリッジを行け、と、おっしゃる。
???
色んな疑問を感じつつ、彼女らの言葉を信じ、再度、ブリッジの先端まで行き、目を凝らせると・・・。

ありました、クランクした、道。
赤いアーチに支えられた、あの歩道橋が。
先端付近までは何度も、行ったはずなのに、気付かなかった、横の道。
ブルーシート→行き止まり、と、即座に判断してしまったため、見えるものも見えなかったんでしょうね。

暗い歩道橋を走り、線路の反対側で降り、駅まで猛ダッシュ。
結局、私が駅に着いたのは、奥さんが出かけて、2時間はゆうにたっていた、と思います。
デブな私が、こんなに走ったのも、学生時代以来かも、しれません。

駅でごみ箱の荷物を探すのは不可。
ピサ駅に問い合わせしようにも、ピサ駅にはそういう部門の係がいない、とか。
そう言われたようで、なすすべのない、どっと疲れた二人は、私が今来た道を通って、ホテルへ戻ります。

財布には、現金、日本円の他、クレジットカード、銀行カード、郵貯カード、そしてスーツケースの鍵を入れていた、とか。
呆れる、のを必死で隠し、冷静に対処法を話し合います。
まずはクレジットカードの紛失をカード会社へ連絡。
深夜までには、手続きが完了します。
現金はたいした額ではなく、あきらめ、銀行・郵貯のカードは帰国後、再発行の手続きをすることに。
私の、一番の問題はスーツケースの、鍵。
よりによって、その日は私のリュックも入れてもらっていたため、その中に入れていた、タバコのストックが取り出せない。
持っているのは、数本・・・。

日本で言う、鍵110番みたいな人を呼んでくれるよう、ロビーで依頼。
やはり深夜に来てくれた方は、専門家ではなく、ホテルの従業員。
「壊してもOKか?」と聞かれ、背に腹は代えられない我々は、もちろん「OK」。
なんと、ドライバー一本で、ごく簡単に、鍵を壊してくれます。
その後、バンドで縛っての、旅の続行になりましたが、親身になって相談に乗ってもらった、ホテルの従業員の方々。
あらためて、ありがとうございました、と言いたいところです。

ようやく処理が済み、落ち着いた二人ですが、既に店はどこも閉まっており、楽しみにしていた夕飯は、ファーストフードに。

列車内はコンパートメントタイプの客席になっており、奥さんの横にはイタリア人の女性が座っていましたが、間違いなくスリをはたらくような人ではなく。
おそらく、ピサの駅の中の店で、食べ物と飲料のセットを頼みましたが、その渡される場所が離れていたため、財布をどちらかのカウンターの置き忘れた、ということだと思います。
まあ、無事で何より。
いやなことは、すっかり忘れて、残りの旅を楽しもう、と、二人で話をしたような気がします。
その後も、ネチネチ、この事件を、たまに持ち出していじめる、わたしも、やはり、いたような気もします・・・が。



ピサ 150930

ピサ
この日は、フィレンツェからトリノへ向かう途中に、ピサとジェノヴァに立ち寄る予定でしたが、やはり座席の指定をとるのに時間を要し、ジェノヴァ来訪をあきらめます。
博覧会跡地の海岸線の様子や、ピアノの事務所の外観だけでも見たい、と思ってましたが、時間的に無理、でした。

正午前にピサに着きますが、これまでの反省をいかし、先に駅でピサからトリノへの切符を購入。
約1時間半の時間で、斜塔まで歩き、帰ってくる計画とします。

駅で荷物を預け、身軽になって、斜塔へ早歩き。
この1秒が、見学時間を1秒増やすのだ・・・、と駅伝選手のように自分たちにはっぱをかけ、だいぶ疲れがたまってきた、重い体を前へ、前へと進めます。

途中、魅力的な街並、川沿いの風景、変わった面白い建物等も目にしますが、立ち止まることもせず。
ただ只管に、斜塔、斜塔と唱えながら・・・。
ピサと言えば、斜塔。
ははは、全く普通の一般観光客と変わりませんね。

私がピサの斜塔をどうしても見たい、と思ったのは、学生時代の経験から、でした。
大学院1年の時だったと思いますが、湘南台のコンペに木島研究室で参加します。
我々、熊大チームは、3本のシンプルなタワーにホールや研修文化施設を内包させる提案。
まだスケッチがやっと固まった段階で、木島さんは海外研修へ。
残された我々は、東京の事務所スタッフとともに、右往左往。
結果は、落選・・・。
長谷川さんの当選案とは次元が違う、力の差をまざまざと見せつけられたコンペでもありました。
そんな中、一部のスタッフの中では「ピサの斜塔のように傾ければよかったかな?」という後の感想があり、不思議にその一言が記憶に残ってました。
そんな、まあ、つまらない動機からですが、イタリアへ行くならば、一度は斜塔は見ておきたい、と決めていたような気がします。

しかし、高い建物がすさまじい角度で傾く、その迫力。
たいしたことないだろう、と軽い観光気分での見学でしたが、やはり実物を見るまで、先入観は持ってはいけない、と改めて感じた次第です。
杭工事の不手際で、建物の沈下が話題になってますが、どっかのマンションも、さらに傾けては・・・。
なーんて、言っちゃいけません、ですな。
150930 Pisa Torre Pendente-s

150930 Pisa Torre Pendente34s 150930 Pisa Torre Pendente35s
となりのドゥオーモの方もだいぶ傾いていましたから、元々、相当、地盤が悪い地域なんでしょうね。
工事中に斜塔は傾き出し、それでも建設を止めなかった、というから驚きです。

広い敷地内では、観光客が皆、お決まりのポーズで写真のモデルになっています。
みんなが斜塔を下から支えるポーズをしているので、天の邪鬼な私。
傾きをさらに大きく倒すポーズをするから、写真に撮って、と奥さんにお願いしましたが・・・、恥ずかしいのか、却下されました。
150930 Pisa Torre Pendente5ss 150930 Pisa Torre Pendente25ss

150930 Pisa Torre Pendente47ss 150930 Pisa Torre Pendente52ss

短い時間でしたが、斜塔を十分、観賞し、また観光客の様子も楽しく観賞できて、大満足。
急ぎ、駅へ戻り、荷物を受け取り、列車内で食べる物や飲料を購入。
確か、マックとパン屋さんで、買ったと思います。
定刻にピサを出発。
一路、本日の宿泊地、トリノを目指します。

モデナ 150929

モデナ
ウッフィツィ美術館で思いの外、時間をとられ、この日、訪れようと思っていた3都市、5つの建築探訪の取捨択一が必要になります。
さらに追い打ちをかけたのが・・・、この先も、色んな駅で同じ目に会うのですが、列車の予約。
インドへ行った時は、長距離便の予約はほぼ一日かかるため、前日に駅へ行き、果てしない列に並び、購入したら駅のドミトリーでそのまま発車時刻まで待つ、という経験もありましたが、そこは現代のイタリア、ヨーロッパの国。
座席のリザベーションなんて、日本と同程度で済むだろう、と、正直、思ってました。

が、甘かった・・・。
チケットオフィスカウンターへ行くと、まず、銀行のように整理券をもらうのに、駅員さんが一人一人、必要性や窓口を判断するので時間を要し、まずそこで行列ができる。
やっと整理券を手に入れても、自分の番号が表示されるまで、信じられない時間が、かかる。
まず、操作をする駅員さんが、圧倒的に少ない。
窓口はたくさんあっても、座って対応する人は、わずか。
ガラスの奥には手持無沙汰なのか、男女で仲良く談笑する駅員さんもいるが、こちら側では客が今にも怒りだしそうにしているが、何故か、座って対応はしない。
150929 Firenze Firenze S-M-N-s
経営的に多くの駅員を配置するのが難しいのか?、鉄道ネットワークがEU全体となり検索に時間がかかるのか?、そもそもイタリア人に急ぐ、という習慣がないのか?、は、わかりませんが、ドイツのDBでは経験しなかった、駅での、長時間ロス。

中長距離列車は、ほぼ例外なく、全席が指定席。
日本で言う、自由席がないから、ユーロパスのような乗車のための事前購入チケットを持っていても、車内で追加指定もできず、高額の罰金を取られるから、急ぐ時の飛び乗り、が、できない。
車内での検札にも、あまり人を割けることはできないんでしょう。
無賃とは言わなくても、不正乗車を取り締まるためには、しょうがないんでしょうかね。

しかし、ヨーロッパでも有数の観光国、イタリア。
観光客の利便性確保のためにも、システムの再考を、是非、お願いしたいところです。
2時間ほどかけ、苦労してやっと購入した切符の列車は1時間後。
食べ物や飲み物を買い、ゆっくりプラットホームへ行ってみると、当初乗りたかった列車が遅れて、まだ待機中・・・、というくやしい場面も、ありました。
なんだかな・・・。

ここで、リオーラのサンタマリアアスンタ教会を、まず、諦めます。
アアルトの作品が、イタリアで見れる、ということで期待していたのですが、あまりに便数が少ない地域にあり、断念。
さらに、ボローニャのイーボ、そしてネルヴィのParrocchia Cuore Immacolato Di Mariaという教会も、断念。
この円形の教会は、偶然目にした、イタリア旅行のブログに訪問記があり、作者に行き方まで問い合わせをして、楽しみにしていた建物。
残念、無念で、なりません。
あー、見たかった。

結局、向かったのが、モデナという一都市、のみ。
フィレンツェ2泊にこだわらず、モデナやボローニャを宿泊地にすれば、よかったのかな、とも思います。

まず訪れたのは、サン・カタルド墓地。
中心部から離れているため、行きはタクシー、帰りはバスでの行脚でした。
広大な敷地に、墓地、納骨堂が、果てしない数。
メデナの人口、世帯数から想像しても、そんなには要らないだろう、と思える墓の数。
考えてみれば、イタリアも先の大戦の敗戦国。
我々日本人は、太平洋戦争の記憶や記録は触れる機会も多いですが、大陸、ヨーロッパでどんな戦争状況が繰り広げられたのかは、意外と、あまり知らないのかもしれません。
日本で言う、無縁仏の納骨堂も、多いのでは?、と思いました。
150929 Modena San Cataldo Cemetery2ss 150929 Modena San Cataldo Cemetery9ss
敷地、奥に進むと、ロッシの目当ての建物が見えてきます。
ゲート機能の建物は、薄柱の列柱、正方形の開口部、三角形のペディメント。
いつもの造形が見られます。
150929 Modena San Cataldo Cemetery15s

150929 Modena San Cataldo Cemetery20s

150929 Modena San Cataldo Cemetery22s

150929 Modena San Cataldo Cemetery26s
福岡のイルパッツォに似た造形の数々。
全てが、大小様々ありますが、墓。
鈍感な我々も、やはり、多少の背筋の寒さを感じて、やや急ぎ、俗の世界へ脱出。
バスにて中心部へ戻ります。

俗の最大化、ですかね。
訪れたのは、フェラーリの博物館。
アプローチからは、アンバースのような、大地と呼応する建物か?、と一瞬思わせますが、進んでみると、時代を突き抜けるような、強烈なイエロー、の世界。
外側にマリオン?、ルーバーフィンを出した、カーテンウォールの納まりも美しく、ロビー、トイレとカジュアルな、楽しい空間となっています。
時間もなく、あまり車自体にも興味、いやお金もなく、展示室には入りませんでしたが、ドイツの車が排ガス規制逃れで話題になっている昨今。
もう一度、主権をイタリアに取り戻す、勢いが欲しいものです。
150929 Modena Museo Casa Enzo Ferrari2s

150929 Modena Museo Casa Enzo Ferrari5s

150929 Modena Museo Casa Enzo Ferrari9s

150929 Modena Museo Casa Enzo Ferrari15s




フィレンツェ Ⅲ 150929

フィレンツェ Ⅲ
パンはおいしいものの、やや寂しい、ホテルの朝食を終え、ウッフィツィ美術館へ急ぎます。
8時半には、到着しますが、既に長蛇の、列。
昨日中に行っておきたかったのですが、月曜は休館日。
その後、3都市に遠征したいと思っていたので、すんなりと、わずかな時間で、美術館見学を終わらせたかった、のですが。

結局、チケットを購入し、入場できたのは2時間後。
やはり、事前予約までする必要はないだろう、と、甘くみていたことを、反省します。
150929 Firenze Galleria degli Uffizi-ss 150929 Firenze Galleria degli Uffizi2-ss
気は急ぎますが、この美術館の展示は、どうしても見たかったのは事実。
毛綱時代に、資料収集したこともあり、ラファエッロやダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ジェット、マルティーニ、ルーヴェンス等々と、すばらしい作品もあることは知っていましたが、目指したのは、ボッティチェッリのみ。
「春」そして「ヴィーナスの誕生」の原画が見れる、なんて。
いやはや、感動、でした。
150929 Firenze Galleria degli Uffizi46s

150929 Firenze Galleria degli Uffizi42s
もちろん、他の観光客の人気も高く、じっくり正面から観賞することはできませんでしたが、驚くのは、その展示方法。
無反射ガラス、おそらく防犯ガラスにもなっているんでしょうが、原画の数センチ前を覆う、だけ。
見学者は、間近に進むことができます。
さらに不思議なのは、撮影がOKなこと。
日本ではまず考えられない展示方法に、ほんとはレプリカを置いているだけで、本物は各国の有名美術館を回っているんじゃない?と、疑心を覚えますが、帰国後、どの資料を見ても、やはり本物、とのこと。
あまりに簡単に目的の原画が観賞できたことに、得したような、損したような。

また、美術館の建物は、かつての事務所ビル。
片側廊下プランの学校のような建物でしたが、各所に展示を盛り上げる工夫もされていて、飽きない、楽しい空間となってました。
150929 Firenze Galleria degli Uffizi10s

150929 Firenze Galleria degli Uffizi12s

フィレンツェ Ⅱ 150928

フィレンツェ Ⅱ
ドゥオーモを堪能した後は、南のアルノ川方面へ歩を進めます。
ウッフィツィ美術館の手前で遭遇したのが、ヴェッキオ宮。
頭でっかちで、端にはタワーを抱く独特の形態。
ミラノのヴェラスカの塔などは、この建物を参考にしたのかもしれません。
航空写真を見てみると、陸屋根がパラペット部分に多少あって、一般の切妻木造屋根を架けているようなので、防水技術も発達していなかった時代でしょうが、いろんな工夫があったんでしょうね。
熊本城の石垣の清掃のように、ちょうどクライミング装備の作業をする方が・・・。
もしかしたら、毎日やっている、高さを強調するための、パフォーマンス、かもしれませんが。
150928 Firenze Palazzo Vecchio8s

150928 Firenze Palazzo Vecchio9s

その後、向かったのが、ヴェッキオ橋。
学生時代、単に渡る、通過する機能だけではない、イタリア等の橋の写真を見るにつけ、一度は訪れてみたかった橋の一つ。
橋の上を歩くだけじゃ、単なる高級宝石店の集まった商店街、としか思えない、すさまじい橋上の増殖、増築。
各店の夜の建具も、金属シャッターじゃなく、簡単な蔀戸。
楽しい雰囲気を醸し出しています。

国土面積は日本とあまり変わりませんが、アルプス以外、高い山地がないので、川が洪水を起こすことも、そんなにないんでしょうね。
川を単なる水路とし、蓋をし、人々の生活から遠ざける。
有名なお江戸日本橋すらも、高速道路で覆い・・・。
橋は、交通のネックとなる、邪魔な川を横切る機能さえあれば、十分であり、付加価値や美しさはいらない。
ますます、人は橋から、川から、海から、遠ざかる。
錦帯橋、めがね橋、流れ橋・・・。
おそらく、日本でも昔は、橋という、出会い、また別れ、人間生活の一シーンを演出するような遊び心が、あったのでしょうが。
150928 Firenze Ponte Vecchio3s

150928 Firenze Ponte Vecchio10s
もちろん、貧乏な我々は宝石を買うわけでもなく、次の目的地を目指し、東へ急ぎます。
そして、すぐたどり着いたのが、ブルネレスキーのサンタ・クローチェ教会。
ダンテ、ミケランジェロ、ガリレオ・・・。
200人以上の著名文化人の墓が納められた、教会、です。
床に埋め込まれた墓石で、通路もとぎれとぎれ。
どこを歩いていいものやら・・・。
典型的なバシリカ形式の平面ですが、中央の身廊の天井はクロスヴォールトではなく、珍しく、切妻の木造トラス表し。
予算上の理由なのか、宗教上の理由なのかはわかりませんが、木造を身近に感じることができる、大空間。
私は、ここの方が、好きでした。
150928 Firenze Santa Croce4s

150928 Firenze Santa Croce14s

150928 Firenze Santa Croce26s
教会を出ると、隣には中庭を介し、パッツィ家礼拝堂。
ここも豊かな外部空間。
回廊部分のクロスヴォールト天井の、コーナー部分の処理方法等、なるほど、と思うところも、しばしば、でした。
150928 Firenze Santa Croce67s
さらに、サンタ・マリア・ノヴェッラ教会やネルヴィーのサッカー競技場等を見る予定でしたが、時間的に断念。
ドゥオーモの近くで、まずいミネストローネを食べ、ホテルへ。
長い一日が、終わります。

Hotel Il Duca
150930 Firenze Hotel Ⅱ Duca5ss 150930 Firenze Hotel Ⅱ Duca6ss

150930 Firenze Hotel Ⅱ Duca2ss 150930 Firenze Hotel Ⅱ Duca7ss
150930 Firenze Hotel Ⅱ Duca8ss
かなり、古い、TVは映らない、WCの水が止まらない、ツインで予約したはずが、いっぱいとかで、ダブルの部屋に・・・。
部屋も廊下もロビーも、レストランも暗く。
外観も写真を忘れるくらい、目立たない、集合住宅群の一角。
と、最初に荷物を預けた時の不安は的中し、ちょっと落ち込むホテルでしたが、おばあちゃんが、ほぼ一人で朝食を作り、掃除をし、ベッドメイクをし、受付・会計をし・・・。
しかし、やはりそこには、家族的な雰囲気が、あちこちに感じられ、だんだん居心地がよくなっていくから不思議です。
ドイツでも、ハノーファーは金額が高いため、ツェレの田舎の方のペンションの屋根裏部屋へ泊ったことがありますが、一番、子供たちも落ち着いて寝たような。
不満は多少ありましたが、何よりドゥオーモまで数百mの立地。
老舗ホテルのおばあちゃん、いつまでも元気で頑張って欲しい、もんです。

フィレンツェ Ⅰ 150928

フィレンツェ Ⅰ
いよいよ4泊したローマを離れます。
朝食をとり、チェックアウト。
特に冷蔵庫の中の物にも手をつけてないし、アダルトビデオも見てないし、もっともイタリアで泊ったホテルには一切ありませんでしたが・・・、早々に領収書をもらい、駅へ急ごうと思ってましたが、何と・・・。
いや、単に、やはり事前調査の漏れですが、数年前より、ホテルのランクに応じて宿泊税を徴収することになっているとか。
さすがに4泊、日本の安いビジネスホテルの一泊料金並みの、追加金額を払います。

テルミニ駅から列車に乗り、次の都市、フィレンツェへ。
サンタ・マリア・ノヴェッラ駅到着が10時頃、所要時間は約1時間30分でした。
チェックインの時間までは、まだだいぶ時間があったため、どこからでも見え隠れするドゥオーモをちら見しながら予約したホテルを探し、荷物だけ預けようとしますが、対応するのは、かなり高齢の、おばあちゃん、一人。
暗いロビー、暗いレストラン、階段・・・。
ちょっと、これからの連泊が、不安になってきます。
150928 Firenze Duomo-s
そして、まず向かったのが、もちろんドゥオーモ。
他の都市にもドゥオーモはありますが、やはり、その美しさ、シンボル性は類を見ない、とほとんどの人が感じるところでしょう。
馬鹿と何とかは、煙でしたっけ?高い所が好き、といいますが、近づいてみると、クーポラに上る入場門前には既に行列が200mほど。
何も考えず、その最後尾に並びますが、我々の前に並んでいる、きれいな、メガネをかけて、さらに知的な、魅力的なイタリア女性が他の英語圏の観光客に説明するのを、ちら見、いや、ちら聞きしてみると、どうやらチケットの事前購入が必要なよう。
慌てて、奥さんをそのまま並ばせておいて、ちょっと離れたチケットオフィスへ猛ダッシュ。
何とか、ギリギリ、入場までに列に戻ることができました。
貴重な情報、ありがとうと、美女に、お礼を言えなかったことは、今でも心残りでは、あります。
150928 Firenze Duomo12ss 150928 Firenze Duomo13ss
入場すると、すぐ階段、登頂を目指します。
まずは四角い平面のらせん階段で、「最後の審判」のフレスコ画か描かれたレベルまで登り、一息。
そして、その後は、最頂部の尖塔二重ドームの中を、それこそ迷路のような急階段で一気に登ります。
どちらも階段幅は一人がやっと通れる極小、蹴上は、かなり。
外気に面する小さい窓も、たまにしかなく、休憩できる場所もありません。
喘息持ちで、呼吸器系には不安な奥さん、閉所恐怖症も、お持ちで、見ているのがかわいそうなくらい。
私も、自分の体重が強烈な負荷となり、脚はがくがく、息もゼイゼイ。
しかし観光客の列は途絶えることはなく、休むに、休めない。
辛すぎる、時間でした。
ブルネレスキさん、もうちょっと、体の弱い観光客にも登りやすくできなかったの?と、恨み節も心には浮かびます。
それでも、いよいよ頂部が近づくと、下りる人との動線が交錯、一致し、時々は、待つ時間もできて、やっと生きた心地が戻ってきます。
サグラダファミリアのように、エレベーターをつけるわけにはいかないでしょうが、あの厳しい登頂時では、急病人が出ることも、きっとあるでしょう。
他の有名観光地同様、ドゥオーモまわりには、数台の救急車が待機してましたが、いざ、上部で患者が発生したら・・・。
担架も持ち込めないし、観光客が下りきるまで、離合もできない。
ちょっと、怖い、ですね。

最後はタラップで、屋上広場?、いや、そんなに広くはありませんが、30人程が滞在できる展望台へ。
いやはや、苦労した甲斐は、やはり、ありました。
花の都と称されるフィレンツェの街が、一望、360度。
オレンジ、赤?、何とも言えない、きれいな色で統一された屋根の甍が見せる光景を、楽しみます。
150928 Firenze Duomo23s
無事に地上へ帰還し、お互いに落ち着いてから、やっとドゥオーモ全体を見学。
内部も見学し、先程登った時、横に見たフレスコ画を見上げて、その高さを改めて感じます。
150928 Firenze Duomo50s

150928 Firenze Duomo65s

150928 Firenze Duomo73s
やっぱり、高い物は、遠くから眺めるのが・・・、よろしい、ようで。

ローマ Ⅴ 150927

ローマ Ⅴ
ヴァチカンの、宮殿や礼拝堂への入場をあきらめ、向かったのは現代建築。
まずは、ザハのMAXXI、21世紀美術館。
新国立競技場では、建築費の予算オーバーを表向きの理由にして、計画中止。
キールアーチがどうのこうの、その予算があったら〇〇ができる・・・。
あの環境には壁が巨大すぎる・・・。

建築内外、一般人、世論をリードしていると勝手に自負するマスコミ、与野党。
うんざり、です。
いい物は、たとえいくらかかろうと、工夫して、造る。
新しい物を創造する。
シドニーオペラハウス、ポンピドー、デファンス、ルーブル・・・。
時代に、歴史に残る建物は、みな当時は反対意見も多かったはず。
日本の、お城にしても、神社にしても、お寺にしても、今では観光施設にもなっているだろう、名建築でさえ、その予算、規模、形態、立地・・・。
庶民から血税を集め、労働を強い、反抗を押えこみ、それでも、歴史は、いつの間にか、それを肯定し。

まあ、結局、国立という施設でさえ、大赤字を出せない、名より実を取るしかない、今の日本のゼネコン、それとくっつく政治家のかけひきの結果の一つに過ぎない、ということなんでしょう。
国という概念、契約関係は好きではありませんが、日本というブランドが、さらにきらいになる、一連の動向、では、ありました。

ということで、アンビルドの女王という呼び方があるらしいですが、この数年の国際コンペでは、そのデザイン力をみせつけている、ザハの、作品を見学に、ヴァチカンから徒歩で向かいます。
そして、まず目に入った光景は・・・。
デコンの範疇に分類され、人を寄せ付けない独りよがりだ、と批判されることも多い彼女ですが、この美術館の、その過激な造形、ローマという歴史がありすぎる街に立地しているにも関わらず、一般市民の生活に、すっかり馴染んでいるよう。
ピロティ下はじめ、外構空間は、地域の子供たちの歓声に包まれており、それを優しげに見守る親。
どこも堅苦しい、日本の美術館とは、全く異なる世界が広がっています。
150927 Roma MAXXI11s

150927 Roma MAXXI21s
そして、内部は、ザハの世界が爆発。
うねる階段、床が平らじゃない展示室、開放的なロビーや軽食コーナーの空間。
いたずらに、壁を歪める、無理な動線を強いる、等の批判は全くあてはまらず、人に優しい、人間の行動、心理を十分に考慮しての造形なんだ、と納得し、いよいよ、東京にそのデザインを実現できなかった寂しさを深くします。
150927 Roma MAXXI33s

150927 Roma MAXXI46s

多少、歴史的な建築物に飽きがきていたのを、ザハの美術館ですっきりし、次に向かったのが、ピアノの新ローマ公会堂。
近くにはネルヴィの設計だろう体育館もあり、一帯は郊外の運動公園の様相。
しかし、公会堂まわりには、新しい商業施設も上手に配置され、ローマ中心部よりは、若い夫婦や小さい子供が多く訪れる印象。
明るい地域となっています。
残念ながら、公会堂はどのホールも開催されておらず、内部空間を味わうことはできませんでしたが、大小3つのホールを同じ形態、仕上げでまとめ、ホール空間、屋外の階段状の観客席にもなるペデストリアンデッキ空間で結び付けるという手法は、閉館日にも関わらず、やはりザハの美術館同様、何がしか子供たちが安心して遊べる場を設える、解の一つになっているようでした。

金属板で屋根から外壁を連続して覆う、仕上げの扱いは、イタリアではあまり見ず、やはりパリあたりでの設計経験からきたものなんでしょうね。
150927 Roma Auditorium Parco della Musica12s

150927 Roma Auditorium Parco della Musica8s
この建築の見学後、前述のように再度、ヴァチカンへ戻りますが、連日の長距離歩行のためか、もちろんデブの体重を支えるのが苦痛だったんでしょう、靴底が剥がれるアクシデント発生。
スーパーでゴム糊を購入し、応急処置。
予定していたリチャードマイヤーのアラパチス見学は、あきらめ、ホテルへ戻ります。

ローマ最後の夜の食事は、前日のレストランの道をはさんで反対側の、RomAnticaというレストラン。
高そうな老舗のお店だったため、屋外で食事。
イタリアで初の魚介類にも挑戦。
烏賊のたっぷり入ったシーフードサラダは、いい味、でした。
チキンのオレンジソース?は、イマイチ、だったけど。

ローマ Ⅳ 150927

ローマ Ⅳ
ローマの最終日、計画では午前中、ヴァチカンを訪れ、午後は市内の現代建築を見て回る計画、でした。
何でも、万博の開催に合わせ、最終日曜日はヴァチカン宮殿の入場料が、タダ、とか。
貧乏旅行に徹する我々、それは利用するしかない。
しかし、多少、観光客もいつもより多いかもしれない。
でもニュースによれば、今、法王は渡米している。
意外と、少ない、かもしれない。
早めに行って、行列の最前列を目指そう、と、慌てて朝食を食べ、地下鉄を使って、朝8時過ぎには、ヴァチカンへ着いたのですが・・・。

想像を、はるかに超えていました。
システィーナ礼拝堂入場のための行列は、既に1km近く、しかも全く、動かず。
たまに動いても、2、3m進んでは、また止まる。
「最後の審判」は是非、見たいと思い、コンクラーヴェ=根比べだ、と、つまらない駄洒落を思い出しながら、各国からの観光客とのサバイバルレースに挑みます。
しかし、その他にも見たい建物はたくさん、ある。
このまま午前中を根比べで終わらせるか?
150927 Vaticani システィーナ礼拝堂への行列s 150927 Vaticani Piazza San Pietro62s
はい、根比べに、負けました。
白旗、です。
それでも、日本代表?観光客、1時間は、並びました。
頑張りました・・・、50mは、進めた、と思います。

ということで、行列を離れる決断をし、サン・ピエトロ広場に、歩を進めます。
既に、サン・ピエトロ大聖堂への入場の行列も、広場を一周する勢い。
結局、広場だけの、見学となりました。

しかし、「ダヴィンチコード」や「天使と悪魔」を見た我々には、十分な興奮材料。
エンタシスの効いた、巨大な列柱空間。
床に配された、シンボルや中央のマーク。
宮殿の、今にも動きそうな、トムハンクスが現れそうな、彫刻の数々。
コンクラーヴェの終わりを告げる煙突だろう、屋上の突起物。

果てしなく巨大な広場空間を、十分、十分すぎるくらい、堪能します。
(ほんとは、夕方、再訪し、システィーナ礼拝堂への入場を狙ったのですが・・・、もう、閉まってました)
150927 Vaticani Piazza San Pietro59s

150927 Vaticani Piazza San Pietro4s

150927 Vaticani Piazza San Pietro41s

150927 Vaticani Piazza San Pietro46s

ナポリ・サレルノ 150926

ナポリ
この日はローマを離れ、日帰りで南の地方を目指します。
見学したい建物は二つだけ。
時間的にも余裕があるだろう、と、座席の予約と追加料金が必要な高速列車や長距離列車を避け、普通列車を乗り継いで行くことにしますが、これがいけなかった。
ローマから内陸を通るルートを選びますが、Frosinoneという駅から先が、便数が極端に少なく、連絡も悪い。
Rail Plannerで、何度検索しても、もう一度ローマへ戻り、高速列車に乗った方が、早く着きますよ、という回答。
レールは繋がっている。
日本のように、特急と普通を乗り継げば、それ程、時間のロスなく、目的地へ行ける、という先入観が強すぎたのかも、しれません。
結局、また同じルートでローマに戻り、再度、ナポリ行きの高速列車の予約を取り・・・。
貴重な、午前中の時間が、飛んでいきます。

それからは、時間との戦い、でした。
まずナポリ。
中央駅で地下鉄のガリバルディ駅に乗り換えますが、遺跡が多いせいか、その深度は東京の新しい路線の駅なみ。
立体的な楽しいエスカレーター空間でしたが、数回、乗り換える必要があります。
150926 Napoli Piazza Garibaldi3ss 150926 Napoli FS Napoli Centrale2ss
なかなか楽しい駅でしたが、時間も気になり、目的地であったウンベルト1世のガッレリアへ急ぎます。
地下鉄の駅は、Toledo。
ヌォーヴォ城やサンカルロ劇場といった建物も魅力的でしたが、チラ見で、素通り。
あまりサインもなく、やっとたどり着いたガッレリアは、観光客も少なく、やや寂しい感じでしたが、鉄骨とガラスの見事な造形。
ローラー等のエキスパンションも特になく、建物相互を結びつけているのは、地震が多い日本では考えられない、明るく軽快な屋根でした。
気候的には、ドイツで見た、現代建築のガッレリアなんかの方が、厳しい冬への対処という意味では、存在価値があるのでしょうが。
150926 Napoli Galleria Umberto Ⅰ8S

150926 Napoli Galleria Umberto Ⅰ7S

サレルノ
さらに南下し、サレルノという、かつての海洋都市へ。
ネットで偶然見つけた、パオロ・ポルトゲージという人が設計した、聖家族教会へ。
夕刻も迫っており、行きはタクシーを利用。
集合住宅の裏手にあり、自分では見付けられなかったかもしれないような立地条件。
多少、貧民街の様相もある?、ありそうな地域でしたが、聖家族教会とは、そういう場所を選んで、建てることが、もしかしたら多いのかもしれません。

打放しの外観、そして内観。
釧路の湿原展望台はじめ、複雑な型枠を必要とする打放しの建物はたくさんありますが、今後見ることになるスカルパの造形より、さらに複雑、小さい要素がたくさんあって、是非、工事中の様子も知りたいところ。
一度、これも調べてみなければ、なりません。
150926 Salerno S-Famiglia19s

150926 Salerno S-Famiglia31s

見学後は、とてもタクシーが拾える場所でもなく、駅まで徒歩。
ローマへ、もちろん、高速列車で戻ります。

昨夜の反省をもとに、ホテルから北西方向のレストランを探し、入ったのが、Al Cavallino Bianco。
ここは、大正解、でした。
店の雰囲気、サービス、そしてリベンジと、食べたカルボナーラが、うまい。
午前中の失敗も忘れ、楽しい、一日の終わりを満喫します。

ローマ Ⅲ 150925

ローマ Ⅲ
観光地めぐり、が続きます。
出国前に、ローマの休日のDVDを借り、数十年ぶりにオードリーの美しさを再認識。
スペイン階段で、美女を探してみますが・・・。
150925 Roma Piazza di Spagna2s
いやはや、すさまじい観光客の数、でした。
これでは、バラ屋さんも、ジェラード屋さんも、出店、移動販売は、無理ですね。
階段は、あまりの人が利用するので、表面は滑るほど摩耗してますが、踏面寸法は大きく、蹴上も心地よい寸法。
皆、オードリーになりきっているのか、思い思いの場所に座り、上がれる通路分も、とぎれとぎれ。
日本だと、屋外階段でも数mおきに手摺、段の先端には、弱視者用に明度の高い材料を貼ることを要求される、大階段。
階段を単なる段差解消装置としてとらえるか、ベンチ、客席、背景としても許容、新たな機能を付加するのか。
道や階段、橋、建物、部屋、室・・・。
改めて、現代日本の、つまらないハード、そして別の使い方を考えない、ソフト。
普請道楽を失って久しい、日本の現状を考えます。

昼食もとらず、数キロを歩きまわったため、我々も疲労困憊。
場所を見つけて、我が奥さんも記念写真。
きっと、ヘップバーンになったつもり、だと思います。
おしりが大きいため、君はヒップバーンだよ、と心の中で、私はつぶやいて、いましたが・・・。
150925 Roma Piazza di Spagna3s
階段を上がりきると、セントトリニタディモンティ教会。
工事中らしく、仮囲いで覆われていて心配しましたが、何とか中へは入れます。
しかし、見たかった二階の回廊にある、メタモルフォーゼの壁画は、公開日が限られている、とのこと。
日曜午後にまた、おいで、と黒人の怖いおじさんに言われますが、そうスケジュールに余裕があるわけでもなく・・・。
残念、でした。
150925 Roma Torinita del Monti-ss 150925 Roma Torinita del Monti3ss
遅い昼食となり、あたりはもう薄暮。
予定していた、ネルヴィのパラロットマティカ見学をあきらめます。

スペイン広場近くで、ウィンドウショッピングを楽しみ過ぎて、ホテルへ戻ったのが、既に22時近く。
ホテル内のレストランもオーダーストップ。
では、昨日とは違うBARでも、と南東側へ進み、入ったお店がArcobalenoという細長いピザとケバブの店。
屋外テーブルもあって、いい感じの店だと、思ったのですが・・・。
ここが、ひどかった。
中国人と思われ、最初にニイハオと声をかけられたのは、いいとして、ビールを頼んでも、冷蔵ケースから自分で持って行き、自分で栓を抜くシステムらしく、いつまでも出てこないし、その案内もない。
最悪は、頼んだカルボナーラの味。
日本のレトルトの方が、まだ、おいしいと思えるほど、まずい。

やはり旅の印象を決めるのに、食べ処も、かなり重要な位置を占めるもんだと、改めて思い、長い一日を終わります。

ローマ Ⅱ 150925

ローマ Ⅱ
スパーダ宮を後にし、次の目的地はパンテオン。
後部からのアプローチでしたが、シリンダー状の建物の中に、あんな大きなドームを内包しているとは、とても思えない、シンプルな外観。
しかし正面に回ってみると、コリント式のキャピタルを抱いた巨大な列柱空間の迫力に、やはり驚きを覚えます。
当初は教会ではなく、万神殿、だったとか。
人間の認識できるスケールを、キャノピー空間から破る必要があった、ということなんでしょうね。
150925 Roma Pantheon7s
そして、いよいよ内部へ足を進めると
150925 Roma Pantheon23s
見事な、そして巨大な、そして神々しい、美しいドーム空間が現れます。
学生時代、上無田神社をトレースする課題もありましたが、もちろん、さらに深く、精巧な格天井。
おそらく組積造では、建設当時、3次元のくさび石を加工、設置することができなかったのか、頂部の穴、天窓、目。
いや、もちろん、採光、換気にも有効なんでしょうが、何より、天から神が下りてくるかのような、厳かな印象を与えています。

そして、我々、建築関係者が特に興味を覚えるのが、直径=ドーム高さ、という事実。
上部のドームの円弧をそのまま下に延長すれば、天窓の真下の床で、一点で接する。
つまりシリンダー状の建物に、純粋な球を内包している、ということになります。
ルドゥーのイラストの世界を、2000年前に実現。
球磨村森林館のように、わずかでも直径部分から、下への造形を延長されていたならば・・・。
きっと、一般観光客の目にも、まるで球の中にいるような錯覚を、いや正しい認識を、与えていたんでしょうね。

十分、パンテオンの豊かな空間を味わった後は、サンティーヴォ教会へ移動。
バロックの美しい造形を体験します。
下が凹で、上が凸な外観。
構造的にも、外皮が自由になりつつ、あった時代なんでしょうね。
150925 Roma SantIvo della Sapienza6s 150925 Roma SantIvo della Sapienza13s

遅い昼食をとった後、立ち寄ったのはトレヴィの泉。
なんでも・・・

コインを一枚:またローマを訪れることができる。
コインを二枚:大切な人とずっと一緒にいることができる。
コインを三枚:恋人や配偶者と別れることができる。

と、言われているらしく、秘かに、ええ、秘かに・・・、奥さんの目を盗んで、3枚のコインを投げてみようか。
なんて、計画を持っていましたが、着いてみると・・・えっ、工事中。
全面、仮囲いに覆われ、申し訳程度に、それこそ日本の神社の初詣の賽銭箱のような、ブルーシートで設えた場所もありましたが、さすがに御利益?は、ななそうで。
秘かな計画は、露と消えてしまいました。
もしかして、奥さんも3枚のコインを、用意していたり、して。
昨日(11/6)のニュースで、工事終了の映像を流していましたから、ほんの一か月の差。
我々、夫婦にとって、よかったのか、悪かったのか。
また、25年後に、訪れてみますかね。
150925 Roma Fontana di Trevi-ss

ローマⅠ 150925

ローマ Ⅰ 
ホテルにて朝食を食べ、いよいよイタリア巡りの開始。
徒歩で向かった、コロッセオ前にて記念の一枚。
150925 Roma Colosseo9s
決して若くない夫婦ですが、この先の無事を祈りながら、石畳を進みます。
低い朝日・・・、短足、デブの私には、いい角度ですね。
サマータイム中だったためか、時刻を決める子午線の経度が東へ、ある程度ずれているのか、日の出は遅く、日没もやや遅い印象でした。

そして、コロッセオ。
あまりに有名、そして我々も何度も写真や動画で見た、古代の闘技場。
解説通り、外壁面の柱型のキャピタルは下からドリス式、イオニア式、コリント式。
しかし、何故、一つの建物に、発生時代の違うキャピタルを同時に配したのかは、謎?
内部の資料館には、キャピタルの現物や解説資料がたくさん展示してありましたから、おそらく、どっかのガイドさんに付いて回っていたなら、その理由も聞けたかも、しれません。
もう一度、西洋建築史を学びなさい、と、早速、最初の現場で指示されたような・・・、気がしました。
150925 Roma Colosseo7s
内部は想像通り、大迫力の世界。
楕円の長軸や短軸上には、やはりたくさんの観光客が群がり、ベストショットを狙っています。
自撮り棒も、かなりの人が持参しており、アリーナを背景に、一人で撮ったり、カップルで撮ったり。
人ができるだけ少ない写真を撮りたがる私は、すき間をぬって、ぬって・・・。
150925 Roma Colosseo17s
バットレス状の観客席の構造体や、おそらく当時は一部屋根をかけていただろう、壁面に残る木組受けの穴、十字架、持ち去られたために、構造体だけが残るアリーナの床・・・。
まだ赤みの残る煉瓦一色の造形ながら、一様ではない、色んなシーンを、凹凸を、朝日がはっきりと浮かび上がらせてくれてます。
一番、印象に残ったアングルが
150925 Roma Colosseo37s
おそらく、アリーナへの待機場所。
ひとたび、アリーナ、大観衆の前に出れば、人を、あるいは猛獣を殺すか、逆に自分が殺されるまで、決して帰ってはこれない場所。
何が悪くて、自分はこんな場所にいるんだ?
アーチから、遠目に見える観衆は、みんな笑っている・・・、はたして、俺は?、いたかもしれない家族は?
どんな精神状態、どんな叫び、悲しみ、恨み・・・。

いつの間にか、建物を楽しむ一観光客から、奴隷?、罪人の気持ちをリアルに想像する古代人に気分は変化していたように思います。

コロッセオを後にし、次の目的地はカンピド-リオ広場。
途中、フォロ・ロマーノという古代ローマの遺跡群がありますが、あまり興味を覚えず。
ギリシャ・ローマを学ぶ、という志は、既にどっかに消えていった、ようでした。

カンピドーリオ広場は、磯崎さんが筑波センタービルを発表した時に、その広場のペイブパターンに感動し、是非、一度はオリジナルを見てみたい、と思っていた広場の一つ。
わくわくして、行ったのですが・・・。
150925 Roma Piazza del Campidoglio8s
なんと、本物は四角い建物に囲まれた矩形の広場に、楕円パターンのペイブを施したもの。
ミケランジェロの、強引さは恐るべしですが、地上レベルからは全体像も見えず、広場に動きや躍動感を与えることができたか?、建物相互を有機的に結ぶことができたか?、には少し疑問が残りました。
確か、筑波は建物外壁や壁で、もともと楕円の広場を形成していましたが、色んな仕掛けで、圧迫感のない、楽しい広場になっていたような記憶も・・・。
うーん、やっぱり外構も、難しいもんですね。
ペイブのライン一つにしても、どこを起点、基点にして、辺境、境界部分をどう処理するか?
人類は、悩み、続けます。

次に訪れたのが、スパーダ宮。
日本の旅行ガイドブックでは、あまり大きく取り上げられませんが、私が大好きな、だまし絵、トロンプルイユでは有名な建築。
スカラレジアを凝縮したような列柱の造形は、是非見たい、と思っていました。
入場料を払い、係員さんは2階、3階の展示を楽しむよう勧めますが、真っ先に向かったのが、中庭。
福田繁雄さんの真似をして、立ち入り禁止の鎖を強行突破。
手前と奥で、写真を撮ります。
150925 Roma Palazzo Spada2s 150925 Roma Palazzo Spada3s
奥行きは、わずか8mほど。
遠近法を強調することで、数十m先に、私はいるような・・・。
デブな私が、人からは痩せて見える。
そんな夢のようなテクニックのヒントが、ここにあるのかも、しれません・・・多分、ないけど。

外壁には、だまし絵の窓。
足元には、私と同じように自分では痩せていると信じているだろう、10kg超えの、我が家の猫そっくりのデブ猫。
どういう施主が、どういう理由で、こんな変な建物をボロミーニに設計させたのか?
これも、おいおい、調べてみたいと、思います。
150925 Roma Palazzo Spada6s 150925 Roma Palazzo Spada5s



出国 150924

出国
出発は今回も福岡空港から。
10:25分発と割合ゆっくりしていたため、熊本駅から新幹線に乗ったのも7時台。
が、またしても、確かドイツ行きの時も同じ失敗をしたような気がしますが、福岡空港は国内線と国際線が別の建物。
専用シャトルバスで移動する必要があり、時間がかかることを、すっかり忘れていました。
予定より多少遅れましたが、何とか出発の1時間半ほど前には、KLM航空のカウンターに到着。
無事、荷物を預け、出国審査、搭乗手続きをクリア。
機上の人と、なります。

太陽を追いかけ、西へ向かうルートは、何だか一日得するようで、秘かにうれしいのはうれしいのですが、やはり偏西風と闘いながら飛ぶ飛行機のスピードは上がらず、中継のアムステルダム、スキポール空港まで着くのに13時間あまり。
狭い客席、満席に近い状態、高齢化が進んだCAさん・・・。
昔、スペインへ行った時のイベリア航空のCAさんの美しさ、インドから帰る時の空席だらけの機内等、いい想い出だけがよみがえり、長い閉所缶詰状態のストレスがさらに増長されます。

寝ては起き、寝ては起き、を繰り返し、夢うつつの状態ではありましたが、スキポール空港に無事、着陸。
トランスファーだけなのに、厳重な入国審査を受けます。
不思議に思いながらも、空港で、いよいよイタリア行きの飛行機待ち。
無料WiFiの利用の仕方もわからず、2時間ほど手持無沙汰な時間を過ごします。

そして、同じくKLM航空、同じく高齢化が進んだCAさんと共に、いざアルプスを超え、イタリアへ。
2時間ほどのフライトで、ローマ、フィウミチーノ空港(ダ・ヴィンチ空港)に到着。
無事にイタリアの地を踏みます。
さあ、ほんとの入国審査だ、さいとしーいんぐ、カメラおんりー、あーきてくと、〇〇ホテル・・・。
今までの経験を思い出し、緊張して通路を進みますが、ゲートは何もなく、預けた荷物を受け取るだけ。
えっ、逆に、イタリアへ着いてからは、入国審査は、なし?
EUは、そういうシステムになっていたとは知らず、パスポートにイタリアのスタンプが押されないのを不思議がる二人。
変な、感じの、イタリア初上陸、でした。

空港から、ローマ中心部のテルミニ駅までは、レオナルドエクスプレスという、きれいな列車を利用。
早速、ユーレイルイタリアパスのバリテーション、使用開始の手続きをします。
150924 Roma レオナルドエクスプレスs
テルミニ駅から、ホテル・プレジデントまでは、地下鉄で2駅め、Manzoniからすぐ。
切符の自販機での購入の仕方がわからず、何度も何度も、イタリア人が購入する一連の操作をチラ見してはまね、失敗しては、またチラ見。
悪戦苦闘の末、何とか、二人分の切符を手にします。
日本の自販機のように、切符は即座に落ちてきません。
お釣りも、忘れた頃に、出てきます。
取り出し口も狭く、小さい切符や、硬貨を取り出すのは、なかなか大変、です。

ホテルへのチェックインが22時頃。
二人とも、体力的にも、やはり緊張が続いたのでしょう、精神的にも疲れ果て、食事は近くのBARへ。
イタリアから想像していた、重厚な空間ではなく、白っぽい、明るいインテリアの店。
でも、味やサービスは、いい印象。
疲れの中にも、これから始まる、イタリアの旅に明るい期待を持たせてくれる、夜となりました。
150924 Roma ホテル近くのBARs 150924 Roma ホテル近くのBARにてs

BEST WESTERN HOTEL PRESIDENT
150927 Roma Hotel President2s 150927 Roma Hotel President3s150927 Roma Hotel President5s 150927 Roma Hotel President6s
150927 Roma Hotel President7s
古いホテルでしたが、手入れも行き届き、朝食もグッド。
何より中心部に近いことが、まだ街歩きに慣れない我々には、ありがたい、イタリア最初の宿、でした。


旅への準備

旅への準備
イタリアへ行こうと決めた、8月からですかね、イタリアの地図、路線図と、にらめっこする日々が続きます。
ある意味では、釣りと同じように、実際の行動より、その準備段階が最も楽しい時間でもあります。

定番過ぎて、他の日本人と会いすぎるため、遠巻きに参考にする程度ではありますが、やはり「地球の歩き方」を購入。
グルメや土産物の情報はやや寂しいため、奥さんは別のガイドブックも購入。
もちろん、建築家という商売の性なのか、有名無名の新しい建築物を見て回ることになるのは明白なので、建築ガイドを購入したり、ネットで新しい情報を探したり・・・。

だんだん、訪れる都市や宿泊日数も見えてきて、イタリアという漠然とした全体像から、〇〇地方、〇〇市、といった各地のイメージへと細分化されて行きます。
航空券や諸々のチケット、そしてホテルの予約に関しては、旅行代理店を営まれている、高校の同窓生に、一括依頼。
最終的な旅の日程がFIXしたのが、9月中旬の頃でした。
以前のドイツ旅行の際は、ネット環境もまだまだの時代。
ホテルとの交渉を、何度も夜中のFAXで、自分で行ったことを考えると、随分、便利な通信環境になったものだと思います。
もっとも、数十年前のインド旅行のように、駅に着き、その場で宿泊先を探す、というのも、旅の捨てがたい醍醐味ではありますが。

以下が、計画したイタリア紀行のスケジュール。
美術館の休館日等により、ひと筆描きのルートとはいきませんでしたが、2週間でほぼイタリア主要都市を強引に回るスケジュール案。
そこそこ、楽に全工程を無難に消化できる、いい案だと、その時は、思ってました。
イタリアスケジュール150914sss
その他の準備
〇ユーレイルイタリアパス事前購入
鉄道での移動がメインになるため、8日間利用のセーバーパスを購入。
直近の電車に飛び乗れば、どこでも行ける、と思ってましたが・・・事前の勉強不足、でした。

〇スマホ用アプリのダウンロード

(レート換算アプリ)Currency
ユーロを即座に円に換算してくれるアプリ・・・、ほぼ不要でした。3日もすれば、ユーロ、現地の物価の感覚がついてきます。
もっとも、悩むような高額の買い物を一切しないので、もともと不要なアプリでは、ありました。

(翻訳アプリ)Worldictionary
カメラをイタリア語に向けると、日本語に翻訳してくれるアプリ。
英語メニューがないレストランで、数回使いましたが、店の方に聞く方が、やはり早い。
思った料理と違うものが出てきたのも、度々ありましたが、それも旅の面白み、です。

(時刻表アプリ)Rail planner
ヨーロッパ全体の時刻表を網羅。
出発駅と到着駅を入力するだけで、最適ルートを検索。
途中の駅も通過時刻が表示され、そのルートの地図上の表示も可。
席の予約が必要かどうかも識別できて、非常に助かったアプリ、でした。
ドイツ旅行の時も、ほぼ国土全体を回るスケジュールでしたが、時刻表を購入すると、私のバックパッカー用の大きなリュックの半分を占める量。
重たい本をかついでの、移動だったことを思い出すにつけ、隔世の想い、です。

(その他のアプリ)
既にインストールされているグーグルのマップは、やはり必要不可欠なもの、でした。
似たような、石造りの建物が並ぶ、イタリアの都市。
ルート検索はもちろん、屋根伏が見れる航空写真モード。
地図には詳しい、方向感覚も平均よりはすぐれているだろう、我が夫婦でしたが、その威力には、脱帽でした。

〇レンタルWiFi
せっかく日本を離れるのだから、電話もメールも受けたくない、とも思っていましたが、地図や時刻表アプリを使うにもWiFiは必須。
また、日本で留守番している娘たちの様子も、やはり心配。
ということで、WiFiのルーターのレンタルを申し込み。
FBやLINE、他のSNSと、全く日本にいる時と同じ情報環境。
やはり、重宝、しました。
無料スポットも、もちろん日本より多くありますが、設定が大変だったり、動作が不安定だったり、後の請求がやはり気にもなり。

〇お金
出発の福岡空港で、円を一部、ユーロに両替。
旅の途中では、両替所だったり、ATMでキャッシングだったり。
レートの上下や、手数料の高い、安いはありますが、所詮、貧乏旅行の我々。
カードがあれば、無事ならば?、なんてことはない、お金事情、でした。

〇荷物
私はいつもの、バックパッカー用の大型リュック+カメラバッグ。
奥さんは中型のスーツケース?、がらがら+小型バッグ。
ほぼ2泊以上の同じホテルへの滞在だったので、下着やシャツも、自分で洗濯。
2週間の一般旅行客の荷物と比較すれば、かなり少ない荷物量だったと思います。

〇体
一日、10km以上歩くことも予想され、旅立ち前は、ビール消費量も減らし、体重も減らし、歩くトレーニングを二人でやろう、と決めたような記憶もありますが・・・。
ぶっつけ本番、現地入り、でした。

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今日も時化た

Author:今日も時化た
熊本へ戻って以来、釣りに行きたい病が復活。
船外機付きゴムボートで天草の西へ東へ。
「釣り、たまーに仕事」をモットーに、これからも頑張ります。

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